2022年6月25日(土)

少し体が動くようになってきたので、今週はゆっくりと小説の準備をしていた。社会的存在としてはもっと優先してやるべきことが山積しているのだけれども、そんなことを言い出すとなにもできないどころか息絶えてしまう。

冒頭、あらためて「小説の準備」などと述べたが、それはもう何年も続けていることで、止むに止まれぬ書き出しのきっかけが無かったせいでそれらはずっとノートに閉じ込められていた。そして、これまでと同様に、書き出されるものは順番待ちをすっとばした新参者の顔だ。
ただ、今回の作業は、「絶間町」という街を舞台にすでに書かれた三つの小説の再構成で、つまりいま「私」の目線は過去に向いている。ゆえにそこ(過去)に当然在る順番待ちの書付けたちの恨めしげな視線を躱すことはできず、それらの鋭さにそわそわしつつも、いつも通り(すべての)「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである。

さて、ふと、気の迷いとまでは言わないが、はずみで、コンピュータを新調するごとに過去の機械に置き去りにしてきた写真のデータをまとめることにした。
問題はおれの物持ちの良さで、12インチのPowerBook G4の中には2003年からの写真がすべて保存されたままであり、その次とその次の機械にもデータの欠損はまったくない。作業は時間こそ掛かれどとくに困難はなかった。これまでは枚数の多さに(その当時の機械の)処理が追いついていなかったため小分けにしていたデータを、いまの機械はいとも簡単に処理してくれた(今日は暑い日だったから、ファンがうんうんと唸ってはいたが)。
つまり問題とは、10代の終わりから約20年にわたる時の、いわゆる「思い出」に簡単にアクセスできるようになったことにある。
いまでいうコンデジの最盛期だった2000年代、現像代がかからないから無限に撮れるとばかりにはしゃいだ跡が刻々と——それが日常化し、撮る方も撮られる方も写真/カメラへの意識が薄れ、そこでの在り方は生々しい。
生々しい? 忘れていたのは、そこでどんなふうにカメラを手にしていたのか、自分自身の在り方だった。
ひたすらいまとの差異を感じさせるものが手近になった。

先月、このところほとんど使っていなかったTwitterに、使い始めて14年が経ったことを祝われていた。
とはいえ、Twitterが一般的になりはじめたのはおれが使い始めた時よりもずいぶん後のことで、画像や動画が添付されることが当たり前になったのはさらに後のことである。
つまり、はしゃいだ跡が刻々と刻まれている2000年代の思い出たちは、撮る方にも撮られる方にもオフラインのものと認知されていた。
いま考えると少し気味が悪いのではないだろうか。どんなSNSにもアップされない写真がただただ撮られている。毎日何十枚も。理由は知っているのだが、それでも、なぜ? と少し思ってしまう。それがいまの「私」の感覚だ。
まとめられた写真は約5万枚あった。記録/思い出が、まだ続いていることを体感する時間のそれらだったら、さして気にはならない存在だ。しかし、泳ぐことが大好きなのにもう何年も泳いでいない「私」は、毎年夏が来るたびに海や湖で大はしゃぎしている過去の写真に目眩を感じ、もっとも多く被写体となった飼い猫がいないいまをその連続とは捉えられない。
この感覚が、「いま「私」の目線は過去に向いている」、そして「「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである」という二つの事項を繋ぎ、「止むに止まれぬ書き出しのきっかけ」を作ろうとしているのだろう。

思えば、すべてが連綿と続くこと、それから、死んだらただ消え去るだけ、という想いが、いろいろなことへの大きな動機になっていたのだと思う。
エアポケットにあるいま、「私」はそのことと距離を取らざるを得なくなった。考え出してしまった。果たしてそうなのか、と。
疑っているわけではない。たぶん、見方の変化を自覚しなくてはならない、という戒めに近い気もする。あるいは、在ったことを忘れてしまえばその限りでは無い——、と。

わかった気になっていたこと、他愛もないと思っていたことに、あらためて膨大な時間を割くことは少し残念でもあるが、とはいえ止むに止まれぬ気持ちはいつまでも続くわけではない。「死んだらただ消え去るだけ」なのだから、成仏を願うことは、生きているものだけが、その気持ちのもとで実現できることである。
未だ、すべてが連綿と続くこと、そして、死んだらただ消え去るだけだということを信じ続けようとしているのならば、仕方ない——。
仕方ない——。たぶん——仕方ない——、そういうことなのだと思う。

2022年6月15日(水)

Bandcampで買ったLevon Vincent『SILENT CITIES』を聴いている。夜の音楽だ。2008年の名盤、Metronomy『Nights Out』の夜更けが78分間続くような粒状の光の連続。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せている。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せていた。

なんとなく、三十年——、特に空白のその時に興味があるようで、拙作『イサナの歌』にもそれは登場する。
なにか謂れがあるとは思っていなかったが、筒井康隆『附・ウクライナ幻想』の再読から連なり読み直した『イリヤ・ムウロメツ』(著・筒井康隆/絵・手塚治虫)の主人公イリヤは、生まれてからすぐに三十年の空白を生きることになる。イリヤの手足が三十年ものあいだ萎えていたのにはどんな意味があるのだろうか。ブィリーナの特質から考えて、節回しに由来するのか、あるいは宗教的意味があるのか、寡聞にして知らない。

いつか古い時は、郊外の夜を歩けば揺れるエレクトリック・ピアノの白い光線にいまと三十年先を見せられていたようだった。その白色は、夢や希望を語るのではなく絶望でもなく、ただただ圧倒的未知を感じさせた。

そういえば、と書架から小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』を手に取り頁を繰る。1950年代のアメリカがいかに「自動車中心」の風景を描いていたか——デイビッド・ハルバースタム『幻想の超大国』からそのことを述べた箇所を引き、小田光雄はこう続けた。

日本の一九八〇年代以後の郊外の消費社会の風景になんと酷似していることだろうか! それに産業構造においても、アメリカの五〇年代と日本の八〇年代はまったく重なりあっている。そしてこのハルバースタムの文章は、「アメリカ」と「日本」を、「五〇年代」と「八〇年代」に置き換えれば、そのまま日本の風景を描いているといっても過言ではない。

小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』、青弓社、1997年、122ページ

1983年生まれの「私」が10代だった頃、生まれ育った郊外の街からはたしかに未来を幻視できていたように思う。ところが、いまは同じ場所から30年遡った風景が見える。しかもそれは幻視ではなく、想像力の脆弱が生み出した景色だろう。そこにあり得る「距離」は過ぎ去った時間だけであり、固定された古い光でしかない。そんな「距離」に、光に、なにかあたらしいものを想うことは……、いや、それこそを感じ取るべきなのか? そんなはずは——と、取り返しのつかない行為に思えて恐ろしい。体が硬直する。生理的抵抗が生まれる。……そういえば、立ち止まり、あるいは振り返ることの価値をこの国では教えてもらえなかった。たとえ待ち受けるのが奈落であっても、まだ先のことであるというだけでわれわれはそちらを選ぶに決まっていた。

立ち止まる。もう長い時間が経ったように思うが、まだそれを続けている「私」を見ている。
見たい姿ではないが、おそらくはそれが必要かつ過酷な休息ゆえの不恰好なのだと、いまは判断しよう(判断? ほんとうに?)……。

2022年6月11日(土)

引き続き「見る/見られる」の問題を考えているが、ここであらためてヴィム・ヴェンダースの言葉を引く。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

Wim Wenders

ところで、この頃はもっぱら三村京子さんの新譜『河を渡る』を聴いている。

昨年10月5日付の日記でふれているが、『イサナの歌』という表題で小説を書いていたおり、三村さんの『いまのブルース』という作品のレコ発ライブを神保町で観たのだった。そこで「歌をうたう」という行為について考えはじめ、それが『イサナの歌』を完成に導いてくれた。『いまのブルース』という作品がそのことに寄与してくれたのは紛うことのないことだが、直接のきっかけとなったのはライブを観たことだったように思う。
というのも、「歌をうたう」という行為を強く意識したのは、やはりうたうひとがそこにいたからだろう。「見られる」ことを強く引き受けながら、そこで自分が過去に見たものをうたっているいまの姿があった。

そんなことがあり、昨年『イサナの歌』を三村さんに読んでいただくことに相成り、その縁で『河を渡る』をご恵投いただいたのが今月のはじめのことである。「私」は「見る/見られる」のことを考えてばかりでSNSなどもほとんど見ておらず、新譜を作られたことをご本人から伺えたのは僥倖だった。

『河を渡る』という傑作が、これまでの三村京子さんの作品と最も異なるのは、作詞、作曲、編曲、演奏、録音、ミックスと、すべてにわたり自身が手がけたということだろう。一聴してかなりの多重録音が行われていることがわかるが、おれは音楽のことには疎いから、しかしこれはどうライブでやるのだろう、と素朴な疑問を持つ。
三村さんに『河を渡る』の感想をメールした際には、その疑問はなんとなく伏せておいた。すると、頂いたお返事にこうあった。
「祈り」のつもりで作ったものでもあります。

さて、「祈り」とはなにか。2011年の震災以降、よく考えていたことだった。

話は散らかっていくが、昨年、山田せつ子&倉田翠ダンス公演『シロヤギ ト クロヤギ』において宣伝美術を担当した。その再演として、来月『シロヤギ ト クロヤギ ト』が東京で催されることになり、引き続き宣伝美術を担当することになったため、倉田翠さんの公演『今ここから、あなたのことが見える/見えない』を観劇の後、山田せつ子さんとお話ししていた時のことだ。せつ子さんが、バストリオの公演『一匹のモンタージュ』を観に行こうか悩んでいると仰った。おれは見にいく予定になかったが勧めたところ足を運ばれたようで、後日、バストリオが10周年に際して作成した「アーカイブ本」におれが寄稿した文章を読んだとご連絡いただいた。
その拙文とは、バストリオの『Rock and Roll』という作品についてのもので、ビートルズの『ホワイトアルバム』——とくに『Revolution 1』について考えながら書いたものである。せつ子さんからのご連絡を受け読み返してみると、そこにはいくつか発見があった——

——ただ、いまは「祈り」についての話が散らかっているところである。「祈り」とはなにか。

『ホワイトアルバム』といえば、ビートルズがライブをやめ、インドに行ったあとスタジオに篭って作った2枚組のレコードだ。どういう理由でそうなったのかは知らないが、目の前にいる観客たちに聴かせることがいやになった人間たちが、なぜそんな曲数の多いアルバムを作ったのか——、いろいろと理由はあるのだろうけれども、それはともかく「祈り」という行為は、対象が目の前にある時、見える時、あまり行われない。もっとよくわからない距離が「祈り」には必要な気がする。また、「祈り」は個人的な行為にも思う。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。

とヴェンダースは言ったらしいが、「祈り」はそれとは反対の行為にも思え、かといって「考える」ことを放棄しているわけではない。それがどうしようもなくよくわからない距離であることを認識したうえでの行為であり、それでもなお近づこうとしているような、そんな感触——。

『河を渡る』にはカバー曲が2曲収録されている。『aloha oe』と『夜明け前』。どちらも南国の、踊りのための、そして「あなた」への曲である。ともに、近くはない、おそらくは遠いのだろう、どちらにしろ目で見ることはできない「あなた」への「祈り」のような歌である。

「見る/見られる」は、どこかで「祈り」へと接続されるらしい。理由はなんとなくしかわからないが、おそらくは知性の賜物ではないだろうか。そして「祈り」は自分をも照らす。このあたりはどうも難しい話のように思う。ただの勘だが、意外にも数学がこの問題を明確にするのに向いているのではないか——、話があまりにも散らかってしまい、もはや何を述べても問題がないような雰囲気を感じている。距離が喪失しかかっているのだろう。
「祈り」とは、それがどうしようもなくよくわからない距離であると理解していてもなお、その合間にある緊張関係を手放しては成立しない行為なのではないか。
直近の問題として、「私」はそのことを思い出さなければならない。頭でわかっていても意味はなく、取り戻さなければならない感覚だ。
いまはなんだか、宇宙船との紐が切れてしまった宇宙飛行士のような気持ちなのだ。
ああ、宇宙船がとおざかっていくなあ、と諦念じみた気持ちで眺めていても、あ! ほんとうにまずい、と心が動く距離が、あるところで訪れるのではないだろうか。
境界を越えたそこは、「見る/見られる/考える」ことがままならない領域なのだろう——、フィクションなどでも描かれることの多いシーンだが、深層心理に訴えかける恐怖がある。
「祈り」を行う時、それはその境界を越えた後にはない。どうかその境界を越えませんようにと、祈るのだ。
だからやっぱり、まだ「見る/見られる」の問題は続くはずだ。

そして、そうであってくれと祈る「私」を見る。


2022年6月8日(水)

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。
それよりも、零距離にある身体の不調で意識は満たされる。見て、考えて、それはその場でくるくると回転しているようなものだ。じつのところ見ても考えてもいない。問題と同化してしまっているのだろうか。

いまはいないが、長いあいだ猫を飼っていた。彼らのことはいつまでも見ていられた。見られてもいた。長い時間、見つめたり観察したり、ただ見たりした。
ところで、動物園で動物を見ていて、檻の向こうから見られると少し気まずい。

見る/見られる、とはなんだろう。

とつぜんだが、ここでVTuberの壱百満天原サロメの発言を引く。

わたくしがどうして配信を始めたかといったら、みなさまに笑顔になって欲しいから。
ですからわたくしね、配信というかみなさまに伝えるうえでわたくしは、わたくしというコンテンツとして、こう、ネガティブなことはあまり言いたくないと、いつも笑顔で、こう、笑顔でというか、どんな話をしましてもみなさまに笑っていただけますようにと思っているんですけれども——、まあ、ものには限界というものがございましてよ!
どうかみなさま! こんなわたくしを見て、笑って!

【おバイオ7】BIOHAZARD 7 ✦ をプレイいたしますわ! ✦6【ですわ】※おグロ版

この感動的な発言は、実況していたゲーム『BIOHAZARD 7 resident evil』のあまりの怖さに憔悴していた壱百満天原サロメの、強固な「見られる」への意識によって生まれたものだと思う。

異常なほど大量の「見られる」を前に、「見られている自分を見る」を繰り返すことは生身の肉体に耐えられるものではないのかもしれない。ゆえに極限の「見られる」を実現しようとしているその存在はヴァーチャルである。
それにしても、一体「そこから」はなにが見えているのだろうか。
具体的には、——YouTubeのチャット欄にあらわれる、その膨大な視聴者数からあまりにも刹那的な、声の文字化とでもいうべきもののマトリックスの連続——その極一部である。

そこに生じるあまりにも幽しい「距離」が偽物であることを、配信者はおそらく理解している。だからかれらは、「見る/見られる」の関係を持つ架空の誰かを作り出すほかないのではないだろうか。そしてそれはきっと、かれら自身にほかならない。

多くの人が、気づかぬうちにその場でくるくると回転している。他者を見ることがあまりにも困難となってしまったのだ。
きっと「私」の絶望はそこにある。

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。それはひとつながりでなく、遍在するばらばらの空。
それらを貫通するものがあるとすれば、おそらく空気の振動だけだろう。
声であり、歌である。

2022年6月7日(火)

さて、何から語るべきだろうか。
日記が空白となっていた半年、体調が優れず、とにかくなにもやる気の起こらない日々にいた。起床しては、早く眠気が訪れるのを待つだけの有様だった。

なにひとつうまく考えられない——こんな日々はかつてなく、そんな困窮に陥る理由は複合的でしかあり得ず、ただ手がかりをあてもなく待っていた。しかし届くのは家賃や公共料金の催促のみで、申し訳ないことだが友人からの連絡にすらもすぐには応えられない状態だったためすべて無音にしていた。

ある日、ずいぶん昔に貸していたらしい安部公房『箱男』が友人から返却された。文庫本のそれを何気なく読み始め、さほど長いものではないからそのまま読了し、もっと面白いものだったと記憶していたが……、と思いながら書架に戻した。

また別のある日、太田省吾『なにもかもなくしてみる』を再読したくなり、古書店に注文。拾い読みしていると、ヴィム・ヴェンダースの言葉が引かれていた。孫引きする。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

Wim Wenders

『歴史の誘惑』という表題のエッセイの冒頭で太田省吾はこの言葉を引用している。それに続けて、

<見る/考える>といった、あまりに単純化されたことばづかいだが、私は、こんないい方でしか語れないところが表現行為にはあるように感じながらこのことばを、まず<そのとおり>と思って読んだ。

太田省吾『なにもかもなくしてみる』、五柳書院、2005年、143ページ

と文章ははじまる。

ところで、「私」はいま、<見る/見られる>の問題について考えている。「私」に「考える」という行為を見失わせてしまった原因がそこにあるように思えたからだ。
ヴェンダースに倣い「見る=事象に飛び込む」「考える=事象と距離を取る」としたい場合、「見ているもの=見られるもの=自分」の位置を認識しなくてはいけない。ところが——見ている以上、同時に見られるものとなることは当然のことだ——、そう前置きできない状況が「私」を取り囲み、それによって「考える」はとおざかってしまっていた。
「私」は世界を見ようとしている。家の中から、大抵は四角い画面を通して。その時、「見られている」感覚はない。
「見られていない」から可能であるに過ぎない、その程度の「見る」。言い換えればそれは「覗き見」であり、「箱の中」だ。

先ほど、『箱男』について「もっと面白いものだったと記憶していた」と述べたが、いつのまにか「箱の中」に誘われていることにすら気づかず窃視の日々を過ごしていた「私」は、「見る」ことはできても「見られない」ゆえに(そして無意識にそれを望んでいたがために)「見る=事象に飛び込む」を果たせておらず、結果、ただどこでもない場所=箱の中から、『箱男』をなんでもないこととして醒めた目で眺めたのだろう。

見られていないと距離は狂う。「覗き見」は自分が対象から不可視でなければ成立しない。「私」は、この世界を「見る」ことに疲弊していたのは確かだが、それ以上にこの世界から「見られる」ことを拒んでいたのかもしれない……。

——と、ここまでのことをノートを取り考えていたのは5月の末日のことである。
何度か日記として書いてみたものの、読み返せばほとほとくだらなく感じられその都度捨てていた。
とはいえ、とにかくなにもやる気の起こらない日々にあっては、そんな落胆の繰り返しですら稀有である。
川中で小舟に揺られ、「どちらか」の岸辺に着けばただそこに降り立とう。それまでは寝転び空を見るだけだ。
そんな刻が半年続き、「どちらか」の岸辺にもたどり着かないまま、小舟は浸水しはじめた。
そうなれば空を眺める余裕はない。
流石にこれは、ちょっと違うよな(わかってたけど……)——ということで、また日記を書き始めることにした。

2021年12月3日(金)

前回(10月21日付の日記)、「やはり日記はちゃんと付けないといけない」などと書いて締めているが、11月は一度も書かれず師走を迎えてしまった。

11月は、世間一般のひとからすればそうでもないだろうが、というか、たぶん全然だが、個人比ではよく働いた月だった。
25日にひと段落し、26日、京都で山田せつ子&倉田翠ダンス公演『シロヤギ ト クロヤギ』を見る。チラシ、ウェブサイト、パンフレットのデザインを担当した縁だが、とても刺激的な公演だった。
27日、28日と京都に滞在し、上述の公演の打ち上げに顔を出す。日付が29日になるころに帰京。ものすごく疲れてしまい、体力の低下に危機感をおぼえる。

さて、たびたびログを消し繰り返している日記だが、今回のものも一年が過ぎた。そろそろあたらしいものに……、という気分もあるのだが、いまここにあるものはまだ消さなくても良いような——、いまひとつ区切りのようなものは感じられず、かといってこのまま続ける気持ちもない。とりあえず、いったん休止。
……こういうよくわからない時期の些事はひとまず記録しておいたほうが良い気もするのだけれども、気が乗らないのだから仕方がない。

——ということで、明後日か再来年かわからないけど、また再開する日までひとまず。

2021年10月21日(木)

38歳の誕生日だった10月6日(水)から日記が途絶えている。
最近はあまり、というかほとんどTwitterやInstagramといったSNS(Facebookはずいぶんむかしにやめてしまった)もやらないため、過ぎ去った日々を思い出す道具立てが少ない。

ひとまず、手帳と記憶を頼りに書き出すが、6日は夜にZoomでデザインの会議。7日(木)は大きな地震があった。住まいのある東京都足立区は震度5強で、人生でもっとも大きな揺れに遭ったことになる。ところが揺れの性質のせいかほとんどなにも被害はなく、我が家はわりあい細々としたものがいろいろなところに置かれているが、それらの幾つかが倒れたくらいだった。8日(金)、夕方、おそらく2年以上を経ての帰省のため東京駅から新幹線に乗る。夜遅くに大阪の実家に着く。
9日(土)、午後に家を出て京都に。三条四条を少しぶらつき、Hac.という看板の出ていない真白い店で買い物をし、gallopの公演『大感謝際』を観にUrBANGUILDに。公演は面白く、久しぶりに友人たちと直接会えて嬉しかった。帰り際、ムカデに刺されかける。俺は過去に、プールでアルバイトをしていた時と、和歌山にある南方熊楠記念館に行った際にムカデに刺されたことがあり、危うく三度目となるところだったが、都市部に暮らすインドアな人間にしてはムカデに襲われすぎなのでは? と疑問に思い、Twitterでアンケートをしてみると、5票のうちムカデに刺されたことがない人がいちばん多く3票、一度刺された人が2票だった。やはりムカデにやられがちなのかもしれない。
翌10日(日)、夜に五条でデザインの打ち合わせがあったのだが、実家にいても特にやることがないため早めに京都に向かう。海老屋町の喜久屋でアイスコーヒーと煙草を呑み時間を潰し、打ち合わせ後、その足で京都駅に向かい帰京。その日、埼玉かどこかの発電所で火災があったらしく、JR東日本は朝からダイアが乱れていたらしいが、帰路にあった深夜にはもうその影響はなく無事帰宅。

それにしても、今月に入りようやくコロナが落ち着きはじめ、緊急事態宣言が取り消されたかと思えば、地震や火災で駅は大混乱。
京都は活気があり、すっかり忘れていたが喫茶店では煙草が喫え、季節外れに暑かったせいか今年はじめて夏のことを意識した。そろそろ関西に戻ろうかと真剣に考える。

11日(月)からの週は、新規のコーディングの仕事の予定だったが、全体のスケジュールが遅れていたためのんびりと過ごす。『映像研には手を出すな!』6巻、『イカゲーム』などを読んだり観たり。
14日(木)、メール業務の合間に見たTwitterで、毎週楽しみにしているポッドキャスト番組「蛙亭のトノサマラジオ」でここ二週ほど活気のある話題に関するお便りを募集しているのを目にし、ああ、こういうことでしょ、という内容がスッと思い浮かんだため、初めて番組にメールを投稿する。わりと古典的な言葉遊びで、筒井(康隆)さんの熱心な読者であれば容易に思いつく内容だと思う。その投稿が19日(火)に配信された番組(ep.53 新サブメインコーナー「サブメイン」)で読まれたので、喜び、笑いつつ、ラジオにこうした便りをするのは初めてで、もしかするとこんな「正解」然としたもの、というか、さっきも述べたが——こういうことでしょ——というようなものをこのタイミングで送ってしまうのは不粋だったのでは? と葛藤する。とはいえ、前回の日記でも述べたが「ファン」なのでやはり嬉しかった。

今日21日(木)は仕事の資料としてE.T.A.ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子 訳)を読む。明日からは12月並みの寒さらしい。なんだかよくわからない時が流れているように感じている。連続性はあるものの、不安定というか……。
手帳を眺めていると、それぞれの日付があたえられたグリッドには扉があり、そこをくぐると翌日ではなく10日後や3日前などにランダムに移動してしまい、戻ろうとするとそこは来た日付ではなく、一体どうすれば翌日に辿り着けるのか——、ただ白い空間を彷徨い扉をくぐり続ける悪夢を思い描いてしまう。
日記を書いているうちに夜が明けてきた。これは昨日の朝かそれとも明日の朝か。いやいや今日の朝で、いまはいまだ。そんなことを思ってしまう人間なのだから、やはり日記はちゃんと付けないといけない。

2021年10月5日(火)

『Be the Cowboy』のツアーを最後に無期限の活動休止を宣言したMitskiだが、6日未明、新曲がリリースされたことを知る。
『Working for the Knife』は暗い歌だが、彼女の新しい曲が聴けることが嬉しい。

ファン、という言葉に無頓着だったが、Mitskiのファンなのかと問われれば、すっかり出不精になってしまったおれが彼女の来日単独ライブには二度も足を運んでいて、おそらく大ファンなのだろうし、もしこれからアルバムがリリースされ、それに関連した来日があれば喜び勇んで出向くだろう。

ファンといえば、今年7月5日付けの日記に記したとおり、ここしばらくはまっている蛙亭が「キングオブコント2021」の決勝に進出したため、今月2日、にわかに緊張しながらテレビの前でその時間を待っていた。トップバッターでの出演に面食らいつつ大いに笑う。それはすこぶる面白い大会となり、日本のお笑いと呼ばれるものが、とつぜん笑いの核心を中心として回転しはじめた感触すら受け、いったいなにがそうさせたのかはわからないものの、感動があった。

ファンの話はまだ続く。大学を卒業して数年経ったころだったと思う。歌手になった大学の先輩がライブをするというので、当時住んでいた京都のライブ会場に足を運んだ。そこでなんの前情報もなくその歌を聴いたのが、もう一人の出演者である三村京子さんだった。帰宅後、すぐに1stアルバムを買い、間もなくリリースされた2ndアルバムはずいぶん聴いた。特に愛聴しているのはその後の3rdと4thで、おそらく人生でもっとも聴いているミュージシャンだと思う。
2015年、すでに着手していたものの書きあぐねていた拙作『イサナの歌』のことばかり考えていた当時、三村さんのアルバム『いまのブルース』がリリースされると知る。住まいを東京に移していたおれは、神保町でのレコ発ライブで彼女の歌を聴き、当時、どうしても頭の中で渦巻いていた『イサナの歌』のいろいろが、それぞれ居場所を見つけたような感覚を得、その後、繰り返し『いまのブルース』を聴く中でそれは、自分にとってもっとも手応えのある作品になった。ところが、それにも関わらず、それまでの拙作を喜んでくれていた友人からの反応は芳しくなく、では、その隙間にはいったいなにがあるのか、とここ数年考えあぐねていたのだった。
そんな折、といってもごく最近のことだが、ふとしたきっかけから三村京子さんにコンタクトを取り、『イサナの歌』を読んでもらえないかお願いする機会を得た。実は、数年前にも同様のことを試みており、その時はうまく連絡が取れなかったのだが、今回は念願叶い、読んでいただいたうえに嬉しい感想まで頂いた。ふたたび頭の中のいろいろなことが整頓されてゆく心持ちだった。

上記のいろいろは、ファンであることの僥倖なのかもしれない。でも、そことは少し線を引きたい気持ちもある。もっとシンプルな言葉で言い表したいが、その気持ちとはなんだろう。
ともかく、またしばらくはがんばれそうだ。
おれはずっとそうやってきたからか、あまり孤独を感じたことがない。ずっと芸術に助けられている。

2021年9月24日(金)

ここ数日、ふたたび暑い日が続いている。
前回の日記から十日空き、この間、それらの日々をどのように記せば良いのかわからず、きっかけを待つうちに時間だけが経ってしまった。仕方がないので、特にきっかけを得ず、日記らしくただあったことを留め置くことにする。

21日(火)、血液検査の結果を受けに病院へ。LDLコレステロールの値が高く、他は問題ないとのこと。遺伝的にそうであることは既知だったため安堵する。帰路、駅前のコンビニに立ち寄ると、黄色地に赤い文字で「煙草値上がりします!」と店を埋め尽くす量の張り紙。ラッキーストライクのボックスを1カートン買って帰る。

23日(木)夕方、区役所にコロナワクチン接種に出向く。一度目の接種。副反応は打った箇所に打ち身のような痛みが少しあるだけだった。

——と、地味で渋い内容ばかりが書き起こされているが、十日の間にはそうでないこともあり、とはいえ日記としてここに記しておこうと思えることは上記のようなものだけになってしまった。

すべてを頭の中に置いておこうとすると、それらがぐるぐると廻り自家中毒を起こす。定期的に放出し簡易的に忘れる——日記は一種のデトックスとして機能するため、検閲を受け、いまはもう忘れてもよいと認可されたものばかりがここに陳列されている。さして思い返すつもりもないのにインデックスを付け、そんなかりそめの態度によって捨て置くことの免罪を得ようとしている。つまりは埃を払い、喜びと秘密だけを身体に匿っておこうということか。
たしかに、衣服のさらに内側には、そうしたものを纏っておかなければまともな様相で街を歩ける気がしない。

ここには、置き去りにされたものたちがそのことを伝えられず、もっと言えば騙された状態で並べられているのかもしれない。時々は黙祷でもするからいつか成仏してくれれば良いが——、いや、ほんとうのことを言えば、朽ち果てたすえに風にさらわれ舞い散る砂塵となり消失を表現して欲しいと思っているのかもしれない。

今回の日記もそろそろ一年。また少し不自由になってきた。