2020年11月20日(金)

気温が高く、どんよりとした空。強風。洗濯機を二度廻す。

日記を書き始めたのは高専生だったころだと思う。約20年、断続的に書き続けてきたが、日記を書くというのはなんのためのことなのか。

手書きのものはほとんどなく、ワープロを覚えて、htmlを覚えて、と先に道具があり、それを使うためのもっとも簡単なものが日記だった。
2003年頃からの日記はほとんどウェブ上に公開しながら書いていたが、ある時から一定期間ぶんを書いては消し、書いては消しを繰り返すようになった。端的に、精神衛生上の理由だったと思う。
確かに日記を付けていれば、細かなことも記憶しておくことができた。でも、時折は忘れたい。2005年以降のログはすべてあるから、思い出したければ読み返すこともできる。
なにをしていたか、と同時に重要なのは、当時の気分だった。そのためには、ある程度上滑りを自覚しつつも書き残すことを選んでいて、それが同時に時折の消去を促している。

とはいえ、日記を書くというのはなんのためのことなのか——、の答えが、上に記したようなことに集約されるのかはわからない。記録、記憶、というよりも、先のことを考えるための有用性のほうが高い気もするからだ。さらには、書いているその時こそが、もっとも大切にも思える。

でもまあ、明確な答えが出ないのが良いのだろう。だからこの世には数多の日記がある。

今日は音楽を聴かなかった。風が強いと、その音を聞いてしまう。