午前10時起床。快晴。強風。
気付くのがずいぶん遅かったが、世界では、厨二病の気配など取るに足らない、という精錬の先であたらしいものたちが確かな歩みを進めていた。無駄な自意識で目が霞んでいたのだろう。表層はほどほどに、しかし根幹は確信のもとに鍛え上げられているそれらの圧倒的速度にちっとも追いつけていなかったのだ。
基本的に、時間はやり方次第で工面できるはずだから焦らずに着実な歩みを、と考えていたせいで、時間の無さを体現した性急にも見える振る舞いだけが宿す洗練と高尚のことを見落としていたのだ。
少し、やるべきことのやり方、その糸口の気配を感じる。
いままでのように、あたらしい感覚が言語化され、周知される手順はもうない——それを前提とした、野性的ともいえる感覚とそれに伴う筋肉を意識的に保持したものだけが然るべき場所で会話を交わす。
ずいぶん遅れてしまったものの、ここ数年に渡る、無意識のうちに体に貼り付いてしまったあれこれが、その痕を残すことなく自然と剥がれ忘れ去られるのを待つための時間は、やはり有益だったのかもしれない。
いまはこの先のイメージがある。見当外れでなければ良いが。