2021年6月4日(金)

5月25日(火)、相変わらず肩こりがひどい。ひさしぶりに「せんねん灸」を据えようとそれを肩に置いたのだが、コロナ禍以降、理髪していない襟足が燃えてしまった。
その夜、友人たちと「リモート飲み」をしようと約束していたのだったが、当日、約束の21時からテレビで『大豆田とわ子と三人の元夫』を観なくてはいけないことを思い出し、日中にその断りを入れ、ドラマが終わった22時に急いで合流。参加者のそれぞれの上半身は画面の区切られた箇所に表示されていたが、そこに映る自分の髪は長く、無精髭で、世捨て人じみていた。実際、友人たちからもそういうようなことを言いたいのだろう曖昧な言葉が聞かれた。
翌日、三年ほど通っている駅前の理髪店に。800円から850円に値上げしていた。先客がふたり施術中で、さらにふたり待っていたが、ふたりの理容師たちの早業によりほとんど待たずに済んだ。安いのはもちろん、無駄が無くとにかく施術が速いのが素晴らしい。初めに一言ふたこと理髪の内容について話す以外はなにも話さない。50円の値上げもこの時世仕方のないことだ。今回、おそらく一年半ほど髪を切っていなかったが、理髪店が苦手なおれでもコロナ禍でなければ、その間に二三度は出向いていたはずである。
襟足を可能な限り短くしてくれとだけ頼む。あとは特に期待も信頼もしていない理容師にすべてを託したが、襟足以外はほどほどに長いままにされ、それなりに小綺麗に落ち着いたので嬉しかった。
すべてを終え、俺がメガネとマスクを装着すると、並行し後片付けをしていた理容師がとつぜん「見てください」と言う。「ほら、こんなに切りましたよ」と切られた一年半ぶんの髪を箒で集めたものがそこにあった。「わあ」と応えたのはそれが求められた反応だと思ったからで、とくに感嘆はなく、なぜそれを見せてくるのかがわからなかった。そもそも、それが多いのか少ないのかわからない。いや、おそらく多かったのだろう。なにしろそこは、短髪の年寄りばかりが来る店である。だからって、だからなんだ。「だからなんだ」とは言わず、850円を支払い「どうも」と言って店を出た。自販機でコカコーラを買って帰った。
——というような日記を書こうと思ってから十日も経ってしまった。それが今日だ。雨風の強い日だった。
リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』はまだ半分ほどまでしか読んでおらず、先日本屋で見つけ購入した朝日文庫の『岡潔対談集』などに寄り道していた。今日、ふたたび『利己的な遺伝子』に戻ったが、その影響で七年前に読んだシーナ・アイエンガー『選択の科学』を再読したくなり、だから『利己的な遺伝子』は閉じたが、『選択の科学』の再読は後にして日記を書くことにした。日記は間も無く書き終える予定なので、そのあとは寝ようと思う。