ここ数日、ふたたび暑い日が続いている。
前回の日記から十日空き、この間、それらの日々をどのように記せば良いのかわからず、きっかけを待つうちに時間だけが経ってしまった。仕方がないので、特にきっかけを得ず、日記らしくただあったことを留め置くことにする。
21日(火)、血液検査の結果を受けに病院へ。LDLコレステロールの値が高く、他は問題ないとのこと。遺伝的にそうであることは既知だったため安堵する。帰路、駅前のコンビニに立ち寄ると、黄色地に赤い文字で「煙草値上がりします!」と店を埋め尽くす量の張り紙。ラッキーストライクのボックスを1カートン買って帰る。
23日(木)夕方、区役所にコロナワクチン接種に出向く。一度目の接種。副反応は打った箇所に打ち身のような痛みが少しあるだけだった。
——と、地味で渋い内容ばかりが書き起こされているが、十日の間にはそうでないこともあり、とはいえ日記としてここに記しておこうと思えることは上記のようなものだけになってしまった。
すべてを頭の中に置いておこうとすると、それらがぐるぐると廻り自家中毒を起こす。定期的に放出し簡易的に忘れる——日記は一種のデトックスとして機能するため、検閲を受け、いまはもう忘れてもよいと認可されたものばかりがここに陳列されている。さして思い返すつもりもないのにインデックスを付け、そんなかりそめの態度によって捨て置くことの免罪を得ようとしている。つまりは埃を払い、喜びと秘密だけを身体に匿っておこうということか。
たしかに、衣服のさらに内側には、そうしたものを纏っておかなければまともな様相で街を歩ける気がしない。
ここには、置き去りにされたものたちがそのことを伝えられず、もっと言えば騙された状態で並べられているのかもしれない。時々は黙祷でもするからいつか成仏してくれれば良いが——、いや、ほんとうのことを言えば、朽ち果てたすえに風にさらわれ舞い散る砂塵となり消失を表現して欲しいと思っているのかもしれない。
今回の日記もそろそろ一年。また少し不自由になってきた。