2021年10月21日(木)

38歳の誕生日だった10月6日(水)から日記が途絶えている。
最近はあまり、というかほとんどTwitterやInstagramといったSNS(Facebookはずいぶんむかしにやめてしまった)もやらないため、過ぎ去った日々を思い出す道具立てが少ない。

ひとまず、手帳と記憶を頼りに書き出すが、6日は夜にZoomでデザインの会議。7日(木)は大きな地震があった。住まいのある東京都足立区は震度5強で、人生でもっとも大きな揺れに遭ったことになる。ところが揺れの性質のせいかほとんどなにも被害はなく、我が家はわりあい細々としたものがいろいろなところに置かれているが、それらの幾つかが倒れたくらいだった。8日(金)、夕方、おそらく2年以上を経ての帰省のため東京駅から新幹線に乗る。夜遅くに大阪の実家に着く。
9日(土)、午後に家を出て京都に。三条四条を少しぶらつき、Hac.という看板の出ていない真白い店で買い物をし、gallopの公演『大感謝際』を観にUrBANGUILDに。公演は面白く、久しぶりに友人たちと直接会えて嬉しかった。帰り際、ムカデに刺されかける。俺は過去に、プールでアルバイトをしていた時と、和歌山にある南方熊楠記念館に行った際にムカデに刺されたことがあり、危うく三度目となるところだったが、都市部に暮らすインドアな人間にしてはムカデに襲われすぎなのでは? と疑問に思い、Twitterでアンケートをしてみると、5票のうちムカデに刺されたことがない人がいちばん多く3票、一度刺された人が2票だった。やはりムカデにやられがちなのかもしれない。
翌10日(日)、夜に五条でデザインの打ち合わせがあったのだが、実家にいても特にやることがないため早めに京都に向かう。海老屋町の喜久屋でアイスコーヒーと煙草を呑み時間を潰し、打ち合わせ後、その足で京都駅に向かい帰京。その日、埼玉かどこかの発電所で火災があったらしく、JR東日本は朝からダイアが乱れていたらしいが、帰路にあった深夜にはもうその影響はなく無事帰宅。

それにしても、今月に入りようやくコロナが落ち着きはじめ、緊急事態宣言が取り消されたかと思えば、地震や火災で駅は大混乱。
京都は活気があり、すっかり忘れていたが喫茶店では煙草が喫え、季節外れに暑かったせいか今年はじめて夏のことを意識した。そろそろ関西に戻ろうかと真剣に考える。

11日(月)からの週は、新規のコーディングの仕事の予定だったが、全体のスケジュールが遅れていたためのんびりと過ごす。『映像研には手を出すな!』6巻、『イカゲーム』などを読んだり観たり。
14日(木)、メール業務の合間に見たTwitterで、毎週楽しみにしているポッドキャスト番組「蛙亭のトノサマラジオ」でここ二週ほど活気のある話題に関するお便りを募集しているのを目にし、ああ、こういうことでしょ、という内容がスッと思い浮かんだため、初めて番組にメールを投稿する。わりと古典的な言葉遊びで、筒井(康隆)さんの熱心な読者であれば容易に思いつく内容だと思う。その投稿が19日(火)に配信された番組(ep.53 新サブメインコーナー「サブメイン」)で読まれたので、喜び、笑いつつ、ラジオにこうした便りをするのは初めてで、もしかするとこんな「正解」然としたもの、というか、さっきも述べたが——こういうことでしょ——というようなものをこのタイミングで送ってしまうのは不粋だったのでは? と葛藤する。とはいえ、前回の日記でも述べたが「ファン」なのでやはり嬉しかった。

今日21日(木)は仕事の資料としてE.T.A.ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子 訳)を読む。明日からは12月並みの寒さらしい。なんだかよくわからない時が流れているように感じている。連続性はあるものの、不安定というか……。
手帳を眺めていると、それぞれの日付があたえられたグリッドには扉があり、そこをくぐると翌日ではなく10日後や3日前などにランダムに移動してしまい、戻ろうとするとそこは来た日付ではなく、一体どうすれば翌日に辿り着けるのか——、ただ白い空間を彷徨い扉をくぐり続ける悪夢を思い描いてしまう。
日記を書いているうちに夜が明けてきた。これは昨日の朝かそれとも明日の朝か。いやいや今日の朝で、いまはいまだ。そんなことを思ってしまう人間なのだから、やはり日記はちゃんと付けないといけない。

2021年10月5日(火)

『Be the Cowboy』のツアーを最後に無期限の活動休止を宣言したMitskiだが、6日未明、新曲がリリースされたことを知る。
『Working for the Knife』は暗い歌だが、彼女の新しい曲が聴けることが嬉しい。

ファン、という言葉に無頓着だったが、Mitskiのファンなのかと問われれば、すっかり出不精になってしまったおれが彼女の来日単独ライブには二度も足を運んでいて、おそらく大ファンなのだろうし、もしこれからアルバムがリリースされ、それに関連した来日があれば喜び勇んで出向くだろう。

ファンといえば、今年7月5日付けの日記に記したとおり、ここしばらくはまっている蛙亭が「キングオブコント2021」の決勝に進出したため、今月2日、にわかに緊張しながらテレビの前でその時間を待っていた。トップバッターでの出演に面食らいつつ大いに笑う。それはすこぶる面白い大会となり、日本のお笑いと呼ばれるものが、とつぜん笑いの核心を中心として回転しはじめた感触すら受け、いったいなにがそうさせたのかはわからないものの、感動があった。

ファンの話はまだ続く。大学を卒業して数年経ったころだったと思う。歌手になった大学の先輩がライブをするというので、当時住んでいた京都のライブ会場に足を運んだ。そこでなんの前情報もなくその歌を聴いたのが、もう一人の出演者である三村京子さんだった。帰宅後、すぐに1stアルバムを買い、間もなくリリースされた2ndアルバムはずいぶん聴いた。特に愛聴しているのはその後の3rdと4thで、おそらく人生でもっとも聴いているミュージシャンだと思う。
2015年、すでに着手していたものの書きあぐねていた拙作『イサナの歌』のことばかり考えていた当時、三村さんのアルバム『いまのブルース』がリリースされると知る。住まいを東京に移していたおれは、神保町でのレコ発ライブで彼女の歌を聴き、当時、どうしても頭の中で渦巻いていた『イサナの歌』のいろいろが、それぞれ居場所を見つけたような感覚を得、その後、繰り返し『いまのブルース』を聴く中でそれは、自分にとってもっとも手応えのある作品になった。ところが、それにも関わらず、それまでの拙作を喜んでくれていた友人からの反応は芳しくなく、では、その隙間にはいったいなにがあるのか、とここ数年考えあぐねていたのだった。
そんな折、といってもごく最近のことだが、ふとしたきっかけから三村京子さんにコンタクトを取り、『イサナの歌』を読んでもらえないかお願いする機会を得た。実は、数年前にも同様のことを試みており、その時はうまく連絡が取れなかったのだが、今回は念願叶い、読んでいただいたうえに嬉しい感想まで頂いた。ふたたび頭の中のいろいろなことが整頓されてゆく心持ちだった。

上記のいろいろは、ファンであることの僥倖なのかもしれない。でも、そことは少し線を引きたい気持ちもある。もっとシンプルな言葉で言い表したいが、その気持ちとはなんだろう。
ともかく、またしばらくはがんばれそうだ。
おれはずっとそうやってきたからか、あまり孤独を感じたことがない。ずっと芸術に助けられている。