2022年6月25日(土)

少し体が動くようになってきたので、今週はゆっくりと小説の準備をしていた。社会的存在としてはもっと優先してやるべきことが山積しているのだけれども、そんなことを言い出すとなにもできないどころか息絶えてしまう。

冒頭、あらためて「小説の準備」などと述べたが、それはもう何年も続けていることで、止むに止まれぬ書き出しのきっかけが無かったせいでそれらはずっとノートに閉じ込められていた。そして、これまでと同様に、書き出されるものは順番待ちをすっとばした新参者の顔だ。
ただ、今回の作業は、「絶間町」という街を舞台にすでに書かれた三つの小説の再構成で、つまりいま「私」の目線は過去に向いている。ゆえにそこ(過去)に当然在る順番待ちの書付けたちの恨めしげな視線を躱すことはできず、それらの鋭さにそわそわしつつも、いつも通り(すべての)「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである。

さて、ふと、気の迷いとまでは言わないが、はずみで、コンピュータを新調するごとに過去の機械に置き去りにしてきた写真のデータをまとめることにした。
問題はおれの物持ちの良さで、12インチのPowerBook G4の中には2003年からの写真がすべて保存されたままであり、その次とその次の機械にもデータの欠損はまったくない。作業は時間こそ掛かれどとくに困難はなかった。これまでは枚数の多さに(その当時の機械の)処理が追いついていなかったため小分けにしていたデータを、いまの機械はいとも簡単に処理してくれた(今日は暑い日だったから、ファンがうんうんと唸ってはいたが)。
つまり問題とは、10代の終わりから約20年にわたる時の、いわゆる「思い出」に簡単にアクセスできるようになったことにある。
いまでいうコンデジの最盛期だった2000年代、現像代がかからないから無限に撮れるとばかりにはしゃいだ跡が刻々と——それが日常化し、撮る方も撮られる方も写真/カメラへの意識が薄れ、そこでの在り方は生々しい。
生々しい? 忘れていたのは、そこでどんなふうにカメラを手にしていたのか、自分自身の在り方だった。
ひたすらいまとの差異を感じさせるものが手近になった。

先月、このところほとんど使っていなかったTwitterに、使い始めて14年が経ったことを祝われていた。
とはいえ、Twitterが一般的になりはじめたのはおれが使い始めた時よりもずいぶん後のことで、画像や動画が添付されることが当たり前になったのはさらに後のことである。
つまり、はしゃいだ跡が刻々と刻まれている2000年代の思い出たちは、撮る方にも撮られる方にもオフラインのものと認知されていた。
いま考えると少し気味が悪いのではないだろうか。どんなSNSにもアップされない写真がただただ撮られている。毎日何十枚も。理由は知っているのだが、それでも、なぜ? と少し思ってしまう。それがいまの「私」の感覚だ。
まとめられた写真は約5万枚あった。記録/思い出が、まだ続いていることを体感する時間のそれらだったら、さして気にはならない存在だ。しかし、泳ぐことが大好きなのにもう何年も泳いでいない「私」は、毎年夏が来るたびに海や湖で大はしゃぎしている過去の写真に目眩を感じ、もっとも多く被写体となった飼い猫がいないいまをその連続とは捉えられない。
この感覚が、「いま「私」の目線は過去に向いている」、そして「「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである」という二つの事項を繋ぎ、「止むに止まれぬ書き出しのきっかけ」を作ろうとしているのだろう。

思えば、すべてが連綿と続くこと、それから、死んだらただ消え去るだけ、という想いが、いろいろなことへの大きな動機になっていたのだと思う。
エアポケットにあるいま、「私」はそのことと距離を取らざるを得なくなった。考え出してしまった。果たしてそうなのか、と。
疑っているわけではない。たぶん、見方の変化を自覚しなくてはならない、という戒めに近い気もする。あるいは、在ったことを忘れてしまえばその限りでは無い——、と。

わかった気になっていたこと、他愛もないと思っていたことに、あらためて膨大な時間を割くことは少し残念でもあるが、とはいえ止むに止まれぬ気持ちはいつまでも続くわけではない。「死んだらただ消え去るだけ」なのだから、成仏を願うことは、生きているものだけが、その気持ちのもとで実現できることである。
未だ、すべてが連綿と続くこと、そして、死んだらただ消え去るだけだということを信じ続けようとしているのならば、仕方ない——。
仕方ない——。たぶん——仕方ない——、そういうことなのだと思う。

2022年6月19日(日)

金曜日にとつぜん体がある程度動くようになったのでいくつか雑務と通院。土日は両日ともボウリングをしていた。6年使っていたライターを無くした。

2022年6月15日(水)

Bandcampで買ったLevon Vincent『SILENT CITIES』を聴いている。夜の音楽だ。2008年の名盤、Metronomy『Nights Out』の夜更けが78分間続くような粒状の光の連続。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せている。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せていた。

なんとなく、三十年——、特に空白のその時に興味があるようで、拙作『イサナの歌』にもそれは登場する。
なにか謂れがあるとは思っていなかったが、筒井康隆『附・ウクライナ幻想』の再読から連なり読み直した『イリヤ・ムウロメツ』(著・筒井康隆/絵・手塚治虫)の主人公イリヤは、生まれてからすぐに三十年の空白を生きることになる。イリヤの手足が三十年ものあいだ萎えていたのにはどんな意味があるのだろうか。ブィリーナの特質から考えて、節回しに由来するのか、あるいは宗教的意味があるのか、寡聞にして知らない。

いつか古い時は、郊外の夜を歩けば揺れるエレクトリック・ピアノの白い光線にいまと三十年先を見せられていたようだった。その白色は、夢や希望を語るのではなく絶望でもなく、ただただ圧倒的未知を感じさせた。

そういえば、と書架から小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』を手に取り頁を繰る。1950年代のアメリカがいかに「自動車中心」の風景を描いていたか——デイビッド・ハルバースタム『幻想の超大国』からそのことを述べた箇所を引き、小田光雄はこう続けた。

日本の一九八〇年代以後の郊外の消費社会の風景になんと酷似していることだろうか! それに産業構造においても、アメリカの五〇年代と日本の八〇年代はまったく重なりあっている。そしてこのハルバースタムの文章は、「アメリカ」と「日本」を、「五〇年代」と「八〇年代」に置き換えれば、そのまま日本の風景を描いているといっても過言ではない。

小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』、青弓社、1997年、122ページ

1983年生まれの「私」が10代だった頃、生まれ育った郊外の街からはたしかに未来を幻視できていたように思う。ところが、いまは同じ場所から30年遡った風景が見える。しかもそれは幻視ではなく、想像力の脆弱が生み出した景色だろう。そこにあり得る「距離」は過ぎ去った時間だけであり、固定された古い光でしかない。そんな「距離」に、光に、なにかあたらしいものを想うことは……、いや、それこそを感じ取るべきなのか? そんなはずは——と、取り返しのつかない行為に思えて恐ろしい。体が硬直する。生理的抵抗が生まれる。……そういえば、立ち止まり、あるいは振り返ることの価値をこの国では教えてもらえなかった。たとえ待ち受けるのが奈落であっても、まだ先のことであるというだけでわれわれはそちらを選ぶに決まっていた。

立ち止まる。もう長い時間が経ったように思うが、まだそれを続けている「私」を見ている。
見たい姿ではないが、おそらくはそれが必要かつ過酷な休息ゆえの不恰好なのだと、いまは判断しよう(判断? ほんとうに?)……。

2022年6月11日(土)

引き続き「見る/見られる」の問題を考えているが、ここであらためてヴィム・ヴェンダースの言葉を引く。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

Wim Wenders

ところで、この頃はもっぱら三村京子さんの新譜『河を渡る』を聴いている。

昨年10月5日付の日記でふれているが、『イサナの歌』という表題で小説を書いていたおり、三村さんの『いまのブルース』という作品のレコ発ライブを神保町で観たのだった。そこで「歌をうたう」という行為について考えはじめ、それが『イサナの歌』を完成に導いてくれた。『いまのブルース』という作品がそのことに寄与してくれたのは紛うことのないことだが、直接のきっかけとなったのはライブを観たことだったように思う。
というのも、「歌をうたう」という行為を強く意識したのは、やはりうたうひとがそこにいたからだろう。「見られる」ことを強く引き受けながら、そこで自分が過去に見たものをうたっているいまの姿があった。

そんなことがあり、昨年『イサナの歌』を三村さんに読んでいただくことに相成り、その縁で『河を渡る』をご恵投いただいたのが今月のはじめのことである。「私」は「見る/見られる」のことを考えてばかりでSNSなどもほとんど見ておらず、新譜を作られたことをご本人から伺えたのは僥倖だった。

『河を渡る』という傑作が、これまでの三村京子さんの作品と最も異なるのは、作詞、作曲、編曲、演奏、録音、ミックスと、すべてにわたり自身が手がけたということだろう。一聴してかなりの多重録音が行われていることがわかるが、おれは音楽のことには疎いから、しかしこれはどうライブでやるのだろう、と素朴な疑問を持つ。
三村さんに『河を渡る』の感想をメールした際には、その疑問はなんとなく伏せておいた。すると、頂いたお返事にこうあった。
「祈り」のつもりで作ったものでもあります。

さて、「祈り」とはなにか。2011年の震災以降、よく考えていたことだった。

話は散らかっていくが、昨年、山田せつ子&倉田翠ダンス公演『シロヤギ ト クロヤギ』において宣伝美術を担当した。その再演として、来月『シロヤギ ト クロヤギ ト』が東京で催されることになり、引き続き宣伝美術を担当することになったため、倉田翠さんの公演『今ここから、あなたのことが見える/見えない』を観劇の後、山田せつ子さんとお話ししていた時のことだ。せつ子さんが、バストリオの公演『一匹のモンタージュ』を観に行こうか悩んでいると仰った。おれは見にいく予定になかったが勧めたところ足を運ばれたようで、後日、バストリオが10周年に際して作成した「アーカイブ本」におれが寄稿した文章を読んだとご連絡いただいた。
その拙文とは、バストリオの『Rock and Roll』という作品についてのもので、ビートルズの『ホワイトアルバム』——とくに『Revolution 1』について考えながら書いたものである。せつ子さんからのご連絡を受け読み返してみると、そこにはいくつか発見があった——

——ただ、いまは「祈り」についての話が散らかっているところである。「祈り」とはなにか。

『ホワイトアルバム』といえば、ビートルズがライブをやめ、インドに行ったあとスタジオに篭って作った2枚組のレコードだ。どういう理由でそうなったのかは知らないが、目の前にいる観客たちに聴かせることがいやになった人間たちが、なぜそんな曲数の多いアルバムを作ったのか——、いろいろと理由はあるのだろうけれども、それはともかく「祈り」という行為は、対象が目の前にある時、見える時、あまり行われない。もっとよくわからない距離が「祈り」には必要な気がする。また、「祈り」は個人的な行為にも思う。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。

とヴェンダースは言ったらしいが、「祈り」はそれとは反対の行為にも思え、かといって「考える」ことを放棄しているわけではない。それがどうしようもなくよくわからない距離であることを認識したうえでの行為であり、それでもなお近づこうとしているような、そんな感触——。

『河を渡る』にはカバー曲が2曲収録されている。『aloha oe』と『夜明け前』。どちらも南国の、踊りのための、そして「あなた」への曲である。ともに、近くはない、おそらくは遠いのだろう、どちらにしろ目で見ることはできない「あなた」への「祈り」のような歌である。

「見る/見られる」は、どこかで「祈り」へと接続されるらしい。理由はなんとなくしかわからないが、おそらくは知性の賜物ではないだろうか。そして「祈り」は自分をも照らす。このあたりはどうも難しい話のように思う。ただの勘だが、意外にも数学がこの問題を明確にするのに向いているのではないか——、話があまりにも散らかってしまい、もはや何を述べても問題がないような雰囲気を感じている。距離が喪失しかかっているのだろう。
「祈り」とは、それがどうしようもなくよくわからない距離であると理解していてもなお、その合間にある緊張関係を手放しては成立しない行為なのではないか。
直近の問題として、「私」はそのことを思い出さなければならない。頭でわかっていても意味はなく、取り戻さなければならない感覚だ。
いまはなんだか、宇宙船との紐が切れてしまった宇宙飛行士のような気持ちなのだ。
ああ、宇宙船がとおざかっていくなあ、と諦念じみた気持ちで眺めていても、あ! ほんとうにまずい、と心が動く距離が、あるところで訪れるのではないだろうか。
境界を越えたそこは、「見る/見られる/考える」ことがままならない領域なのだろう——、フィクションなどでも描かれることの多いシーンだが、深層心理に訴えかける恐怖がある。
「祈り」を行う時、それはその境界を越えた後にはない。どうかその境界を越えませんようにと、祈るのだ。
だからやっぱり、まだ「見る/見られる」の問題は続くはずだ。

そして、そうであってくれと祈る「私」を見る。


2022年6月8日(水)

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。
それよりも、零距離にある身体の不調で意識は満たされる。見て、考えて、それはその場でくるくると回転しているようなものだ。じつのところ見ても考えてもいない。問題と同化してしまっているのだろうか。

いまはいないが、長いあいだ猫を飼っていた。彼らのことはいつまでも見ていられた。見られてもいた。長い時間、見つめたり観察したり、ただ見たりした。
ところで、動物園で動物を見ていて、檻の向こうから見られると少し気まずい。

見る/見られる、とはなんだろう。

とつぜんだが、ここでVTuberの壱百満天原サロメの発言を引く。

わたくしがどうして配信を始めたかといったら、みなさまに笑顔になって欲しいから。
ですからわたくしね、配信というかみなさまに伝えるうえでわたくしは、わたくしというコンテンツとして、こう、ネガティブなことはあまり言いたくないと、いつも笑顔で、こう、笑顔でというか、どんな話をしましてもみなさまに笑っていただけますようにと思っているんですけれども——、まあ、ものには限界というものがございましてよ!
どうかみなさま! こんなわたくしを見て、笑って!

【おバイオ7】BIOHAZARD 7 ✦ をプレイいたしますわ! ✦6【ですわ】※おグロ版

この感動的な発言は、実況していたゲーム『BIOHAZARD 7 resident evil』のあまりの怖さに憔悴していた壱百満天原サロメの、強固な「見られる」への意識によって生まれたものだと思う。

異常なほど大量の「見られる」を前に、「見られている自分を見る」を繰り返すことは生身の肉体に耐えられるものではないのかもしれない。ゆえに極限の「見られる」を実現しようとしているその存在はヴァーチャルである。
それにしても、一体「そこから」はなにが見えているのだろうか。
具体的には、——YouTubeのチャット欄にあらわれる、その膨大な視聴者数からあまりにも刹那的な、声の文字化とでもいうべきもののマトリックスの連続——その極一部である。

そこに生じるあまりにも幽しい「距離」が偽物であることを、配信者はおそらく理解している。だからかれらは、「見る/見られる」の関係を持つ架空の誰かを作り出すほかないのではないだろうか。そしてそれはきっと、かれら自身にほかならない。

多くの人が、気づかぬうちにその場でくるくると回転している。他者を見ることがあまりにも困難となってしまったのだ。
きっと「私」の絶望はそこにある。

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。それはひとつながりでなく、遍在するばらばらの空。
それらを貫通するものがあるとすれば、おそらく空気の振動だけだろう。
声であり、歌である。