少し体が動くようになってきたので、今週はゆっくりと小説の準備をしていた。社会的存在としてはもっと優先してやるべきことが山積しているのだけれども、そんなことを言い出すとなにもできないどころか息絶えてしまう。
冒頭、あらためて「小説の準備」などと述べたが、それはもう何年も続けていることで、止むに止まれぬ書き出しのきっかけが無かったせいでそれらはずっとノートに閉じ込められていた。そして、これまでと同様に、書き出されるものは順番待ちをすっとばした新参者の顔だ。
ただ、今回の作業は、「絶間町」という街を舞台にすでに書かれた三つの小説の再構成で、つまりいま「私」の目線は過去に向いている。ゆえにそこ(過去)に当然在る順番待ちの書付けたちの恨めしげな視線を躱すことはできず、それらの鋭さにそわそわしつつも、いつも通り(すべての)「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである。
さて、ふと、気の迷いとまでは言わないが、はずみで、コンピュータを新調するごとに過去の機械に置き去りにしてきた写真のデータをまとめることにした。
問題はおれの物持ちの良さで、12インチのPowerBook G4の中には2003年からの写真がすべて保存されたままであり、その次とその次の機械にもデータの欠損はまったくない。作業は時間こそ掛かれどとくに困難はなかった。これまでは枚数の多さに(その当時の機械の)処理が追いついていなかったため小分けにしていたデータを、いまの機械はいとも簡単に処理してくれた(今日は暑い日だったから、ファンがうんうんと唸ってはいたが)。
つまり問題とは、10代の終わりから約20年にわたる時の、いわゆる「思い出」に簡単にアクセスできるようになったことにある。
いまでいうコンデジの最盛期だった2000年代、現像代がかからないから無限に撮れるとばかりにはしゃいだ跡が刻々と——それが日常化し、撮る方も撮られる方も写真/カメラへの意識が薄れ、そこでの在り方は生々しい。
生々しい? 忘れていたのは、そこでどんなふうにカメラを手にしていたのか、自分自身の在り方だった。
ひたすらいまとの差異を感じさせるものが手近になった。
先月、このところほとんど使っていなかったTwitterに、使い始めて14年が経ったことを祝われていた。
とはいえ、Twitterが一般的になりはじめたのはおれが使い始めた時よりもずいぶん後のことで、画像や動画が添付されることが当たり前になったのはさらに後のことである。
つまり、はしゃいだ跡が刻々と刻まれている2000年代の思い出たちは、撮る方にも撮られる方にもオフラインのものと認知されていた。
いま考えると少し気味が悪いのではないだろうか。どんなSNSにもアップされない写真がただただ撮られている。毎日何十枚も。理由は知っているのだが、それでも、なぜ? と少し思ってしまう。それがいまの「私」の感覚だ。
まとめられた写真は約5万枚あった。記録/思い出が、まだ続いていることを体感する時間のそれらだったら、さして気にはならない存在だ。しかし、泳ぐことが大好きなのにもう何年も泳いでいない「私」は、毎年夏が来るたびに海や湖で大はしゃぎしている過去の写真に目眩を感じ、もっとも多く被写体となった飼い猫がいないいまをその連続とは捉えられない。
この感覚が、「いま「私」の目線は過去に向いている」、そして「「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである」という二つの事項を繋ぎ、「止むに止まれぬ書き出しのきっかけ」を作ろうとしているのだろう。
思えば、すべてが連綿と続くこと、それから、死んだらただ消え去るだけ、という想いが、いろいろなことへの大きな動機になっていたのだと思う。
エアポケットにあるいま、「私」はそのことと距離を取らざるを得なくなった。考え出してしまった。果たしてそうなのか、と。
疑っているわけではない。たぶん、見方の変化を自覚しなくてはならない、という戒めに近い気もする。あるいは、在ったことを忘れてしまえばその限りでは無い——、と。
わかった気になっていたこと、他愛もないと思っていたことに、あらためて膨大な時間を割くことは少し残念でもあるが、とはいえ止むに止まれぬ気持ちはいつまでも続くわけではない。「死んだらただ消え去るだけ」なのだから、成仏を願うことは、生きているものだけが、その気持ちのもとで実現できることである。
未だ、すべてが連綿と続くこと、そして、死んだらただ消え去るだけだということを信じ続けようとしているのならば、仕方ない——。
仕方ない——。たぶん——仕方ない——、そういうことなのだと思う。