先週末、ようやっと体から泥のような倦怠感が抜けつつあると感じていたが、とつぜん梅雨が明け、ひどい暑さ、二三日そのことに参っていたが意外とすぐに体が慣れてきた。
あたらしい小説(『人間の集団(仮)』)の準備をしていて思い出したのは、今年の2月6日に観た「楳図かずお大美術展」における『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』のこと——絶不調のコンディションだが、これを観ずになんのために生存しているのか、『わたしは真悟』はすべての表現の中における最高傑作のひとつだと感じて生きてきたのだ——。
さて、一体「私」はなにを思い出したか。
『ZOKU-SHINGO』においては、(あの!)「333ノテッペンカラトビウツレ」という指示は、儀式は、反故にされるのだ! 約5ヶ月前、ふらふらとした足取りで訪れた六本木で、そのことに目眩と同時に完全な納得を得た「私」は呆然としたといいます……。
たしかに『わたしは真悟』からは40年もの時が経った。しかし、その空白の「長さ」ゆえの「333ノテッペンカラトビウツレ」の撤回ではない。あくまでも、40年前といまとの差異、それが理由だった……。
ああ、そうか……。ああ……、と打ちひしがれたものです。
そういうことは、いま、「私」のまわりの小さな世界でも起きているのです。起きていました。そして必要なのは、大きな追悼なのです。やはり、仕方ない——。仕方ない——。
少しずつ……、少しずつですが、やらなければならないことが、見えてきたような気がします……。