2022年7月10日(日)

9日(土)のことから。
この日届いた池辺葵 『ブランチライン』4巻と、すでに買っていたが未読のままだった3巻を読むため1巻から読み直す。すばらしい。

ちらちらと目に入る昨日の凶行(安部元首相が銃撃され死亡した事件)の情報を見るに、犯人の動機は新興宗教(統一教会)が関係する怨恨のようである。実際のところはよくわからないままだが、政治的なものが直接の動機でないというのは、この国のいまを想うと腑に落ちるところがある。

10日(日)、本日。参議院議員選挙日。
くりかえし区の放送によって投票を促されるため、正午過ぎに投票に。
夜、尾崎翠『第七官界彷徨』を読む。とてもおもしろかった。

おれがまともに小説を読んだのは高専に通いだしてからのことだ。たぶん、15歳か16歳だっただろう。映画も、テレビで放映されるコマーシャルで細切れの、時間の都合でカットされた大作ばかりしか見ていなかった。音楽はいろいろなものをそれなりに愛好していたが、19歳、芸術分野における基礎的教養がほとんどないまま高専を中退し、芸大に進学した。
そこでの経験は強烈で、端的にいえば、こんなものまであるのか、こんなことまで表現しようとしているのか、という驚きにめまいがした。周囲より十年は遅れていると思った。それでも懸命にわかろうとしたが、理解がまったくなっていないという自覚は、それからずいぶん経ったいまもなお新鮮なままだ。

なぜこんな話をしたのかだが、尾崎翠『第七官界彷徨』の素晴らしさはいま読まなければあまりわからなかったと思ったのだ。『ブランチライン』もそうだし、ここしばらく数ページずつ読んでいる『ウィトゲンシュタインの愛人』もまた然り。
もちろん、いまがいろいろを理解できるレベルに達したのだと考えてはいない。ただ、それを愉しむ域にまで達する速度は実用に耐え得る程度になったと思うし、余計な摩擦も減っているはずだ……。

……なぜか、いまは振り返る季節なのだ。いろいろをやりなおしている。やりなおしをやりなおしている。
ただ、それは本来、この社会において、この年齢の一般的な大人がやって良いことではないようで、弊害は金銭的問題として山積している。解決する気のないその問題に耐久するための精神を構築するのはいまもなお慣れないし辛い作業だが、そのための構造そのものはたいへん強固だと自負しており、たいていの真っ当な意見ではびくともしない。
むしろ最近は、びくともしないことの罪とそれによる罰についての考察に余計な時間を取られてしまうことが問題で、それでも堂々と街を歩ける身体を準備し調整し続けることで、社会を見ようとまでしている。欲張りなことである。
簡単に怒るし、簡単に謝るし、簡単には崩れない。そして、悪い。
だから罰も相当にきついが、そのことの真偽もまた疑い続けなくてはならず、そうなれば、なによりも重要なのは体力である。
体がまったくダメになってしまっていたこの半年はほんとうにいけなかった。ほんとうにいけなかったが、首の皮一枚つながったということにしている。
そういうところもまた悪いのだが、それを説明する嘘のない言葉はあらかじめ準備されている。
それは社会にとってなんの価値も認められない言葉かもしれないが、そんなことはどうだった良いのだと言えてしまうのだから少しは呆れもする(ほんとうはまったく呆れてなどいない)。

で、そんなことより——