大童澄瞳『映像研には手を出すな!』7巻、青空文庫で夏目漱石『三四郎』を読む。
『映像研には手を出すな!』のほうは、単純に単行本が発売されるたびに購読しているものだからだ。ちなみに、他に購読しているマンガ作品は以下である。
池辺葵『ブランチライン』、鳥飼茜『サターンリターン』、吉田秋生『詩歌川百景』、市川春子『宝石の国』、うめざわしゅん『ダーウィン事変』、阿部共実『潮が舞い子が舞い』、宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』。
他にもあったように思うが、特にすばらしいのは『ブランチライン』『潮が舞い子が舞い』『あなたはブンちゃんの恋』。『宝石の国』は連載が再開されたとのことで楽しみだし、『先生の白い嘘』に打たれて以来読んでいる鳥飼茜の『サターンリターン』は尻上がりにおもしろくなっている。
他方、青空文庫で夏目漱石の『三四郎』を読んだ理由だが、かねてから六人兄弟の話を書こうと考えていて、六人もいると名前がややこしい、数字の序列にできないか、と悩んでいたところ、このところ読んでいた尾崎翠の作品にはそうした命名の方法が取られていて、おれの読んでいる岩波文庫『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪』の解説には、それは『三四郎』の影響ではないか、とあったからだった。
とはいえ、あまり参考にならず、というか、数字を順番に名前にあてることなどは簡単で、もっと厄介なのは兄弟姉妹の表記方法である。
つまり、いまのところ、長女(であり、長男でもある)次女、三女、四女、五女、六男、と考えているのだが、この場合、「きょうだい」をどのように漢字で表記すれば良いのか、ということである。
また、末の六男だが、表記法(?)によれば、ひとりめの男児ということで長男と記すこともある。
いずれにしても、長女は時に長男でもあるという複雑もあって、長々とした説明や妙なユーモアを交えずいかに明瞭にこの六人「きょうだい」を書き示すことが可能なのかがまだわかっていない。この六人は共通の両親を持つ、と記せば良いのだろうか。だったらきょうだいではないか、——共通の両親を持つ六人の上から三番目——持って回った言い方だ。意味あり気ではないか。でも、ひらがなで「きょうだい」と書くのも違和感があるし、兄弟、兄妹と書くと、長女は長男でもあるが基本的には長女なので、兄とは誰だ、と、いないものを記してしまっているような気持ちになる——、叙述トリックのようなことをしたいわけではない——というか、そんな疑いからなるべく逃れたいのだ。できることならば、上の例は、六人兄妹の三女、というように記したいのである。ただし、決定的に。
たとえば、尾崎翠は三男四女の長女である——と前述の解説にはあるが、では、彼女は上から何番目なのか、というのはこの一文だけではわからない。一番上、二番目、三番目、四番目のどれにも可能性がある。もちろん、解説を読み進めれば判明する。彼女は上から四番目だ。なぜなら、彼女の長兄、二兄、三兄に関する記述が続くからだ。ただ、その間、果たして「尾崎翠は三男四女の長女ですが、上から何番目でしょうか」という問題をかけられているような心持ちで、そのノイズがたまらなくいやである(そもそも当の解説だが、長兄、二兄、三兄の説明がそれほど必要には思えなかったし、妹たちについての言及はなにもない。やはりクイズの答え合わせなのではないかと疑ってしまう)。なんとかならないだろうか。
長い間このことを考えているが、ぜんぜんなんともならないことがだんだんとおそろしいことに感じられ、——こんな大変な問題がいままで放置されているはずがない、簡潔に記されているのを何度も目にしているにも関わらず、おれはなにか根本的なことを見落としている、そしてそれを思い込んでいるのではないか、という疑いが浮かび上がっては打ち消し、おれは頭がおかしくなってしまったのだろうか、いや、これは言葉の問題だ、とはいえ——を繰り返しているのだった。この日記を書き、読み直すうちによけいにわけがわからなくなってきた気がする。誰か助けてくれ。これが「呪い」なのか。