2024年3月2日(土)

相変わらず不眠の日々である。
さて眠ろう、と処方されている睡眠薬を服用するも眠れず、意識にもやがかかったような状態でただ深夜を過ごすことになってしまう。
ようやっと眠れたかと思えば、早朝には目覚めてしまい、眠気はあるもののやはり眠れない。ただ眠い時間を過ごすだけの日々である。

よく、底まで落ちれば上を見るだけ、というような励ましの声を聞くが、ここ二三年、人生の底を感じている身としては、非常に楽観的な言葉に感じられる。
というのも、底に向かって転げ落ちている最中はそれなりに必死なのだ。下を見ている。そこに何があるのかわからない。身を守らなければならない。
その後、辿り着き、そこが底の実感が伴う。もう落ちようがないと思う。そこで初めて上を見上げるわけだけれども、その高さたるや。
本当の底は深い。走り続けている間は見向きもしなかった人生の積層をじっと見る。
上を見るだけ——それはやり直しなのだ。またその積層を復元せねばならない予感だけが漂う。

底まで落ちれば上を見るだけ——そこにほんとうの絶望があるようにも思うのだけれども、それは本当に励ましの言葉なのかどうか。

どうですか? そこ、底じゃないでしょう、まだ。

2024年2月20日(火)

9日ぶりの日記。とはいえ、日記というほどの内容もない。
先週の火曜日に通院し、処方薬を以前のものに戻してもらう。
それで少し復調したが、完全にプライベートな日記でもないので、こうしたことを書き記すことに少し抵抗もある。

でもまあ、療養日記ということで割り切っても良いのかもしれない。この二年ほどは生活がほとんどままならなかったし、音楽を聴いたり本を読むのも難しい時間だったが、それも改善されつつある。だからこうして日記が書かれているわけだし、無理に何かを記そうとするのも悪手だろう。

読まなければならないもの、聴かなければならないもの、観なければならないもの、なにより書かなければならないものがたくさんある。
いまの一日は数年前の二三時間ほどのことしかできない。時間がない。時間がなくなってゆく。わかっていることだけど、寂寞とした想いもある。

でも、また、どうだろうな。あんなふうな。

2024年2月12日(月)

二週間ぶりの日記。
処方薬の変更がうまくゆかず、睡眠時間が短くなってしまったのと、常にどこか落ち着かない。

池袋に出向き、キャンバスと本を買う。よく歩いた一日だった。
ほんとうは日記など書かずもう寝てしまいたいのだが、そうもいかず仕方なしにこれを書いている。

——どうやら睡眠薬が効いてきた。どうせ夜中に目が覚めてしまうけれど。

2024年1月29日(月)

前回が、2022年8月19日付なので、約一年半ぶりの日記となる。
十代の終わりにはすでにウェブ上に付け始めていたけど、こんなに合間が空くのははじめてのことだ。
なので、一体どんなふうに文章を書いていたのかすら少し忘れてしまっている——、というか、俺はこの一年半なにをしていたのだろう。

簡単に言えば、もう四十を迎えて体にガタがきていたのだった。もともとあった持病の治療を始めたのが二十歳のころ。その内容がどうやら間違いだったようで、例えるならば、——発熱の原因を治療せず、解熱剤ばかり投与し続けていたような状況——、が二十年続いていたらしい。それで、——あくまでも例えだが——、解熱剤の効き目が原因の悪化に追い付かなくなり、体が困ったことになってしまった、というような感じだった。

そのことがわかったのが昨年の夏のころ。そこから正しいと思われる治療を初めて、昨年末あたりにようやっとまともに生活ができている実感が伴った。何はともあれ良かった良かった。良かったね。

というわけで、これからは日記も時々また書こう。そうしよう。思い通りにはいかないし、みんな大体間違ってる。それでもやりはじめるから始まるし、そうでなければそうでない。またそういう景色が見えてきたようにも思えた夜があるね。嫌でもあるよ。冬だから寒いしね。

ではまた。

2022年8月19日(金)

2010年代、陸上競技の5000mと10000mで無類の強さを誇ったモハメド・ファラーは、2017年の世界陸上ロンドン大会の後、マラソンへの転向を表明した。
当時、彼はその理由を家族と過ごす時間を増やすためなのだとインタビューで語り、側にいた自分の子を抱き寄せていたのを記憶している。

なぜかそのことが妙に気になっていた。
彼は当時30代半ばで、そのあたりの年齢で引退する陸上選手は多い。単純に、家族のためになぜそこまでするのか不思議だった。

先月、イギリスのドキュメンタリー番組で、ファラーが自身の過去を赤裸々に語ったというニュースを目にした(「自分はモー・ファラーとして知られているが……」 人身売買されていた英陸上スター – BBCニュース)。
ドキュメンタリー番組は見ていないが、記事からその内容を知り、なんだか納得いった気がした。つまり、なぜファラーは家族に固執するのか、という疑問に対する回答を得たように感じたのだ。
ただ、そのことをもうちょっと真剣に考えてみようと思ったのは、わかった気がしたと同時に、ぜんぜんわからない気持ちもそこにはあったからだ。だって、幼少期にともに過ごせなかった家族と、いまそこにある家族はまったくの別人である。

さて、このことを真剣に考えるのはなかなかたいへんなことだ。なにしろ、「家族」とはなにか、について考えなければならないのだから。しかも考える方法はいくつもある。まずは、遺伝子を代表とする科学的な切り口。そして宗教的な切り口。
前回、8月6日付の日記で、リチャード・ドーキンス『神のいない世界の歩き方: 「科学的思考」入門』(訳:大田直子)を購入したと書いた。代表作『利己的な遺伝子』ですべての生物は遺伝子を運ぶための機械だと言い切る彼にとって、その真理の普及を阻害するいちばん厄介な存在は神——、正確には、神を掲げその影で創作する人間である。なので、上記のふたつの切り口——科学的/宗教的——は対立するほかない。
——と、こんなところから出発していては、目的地にたどり着けそうにないので今回は「認知」の側面から考えていくことにした。

まず、名前がない。なににも名前などない。ひとつひとつ約定を結んでいかなければならない。生まれたわたしたちは、筒井康隆『虚人たち』のようにはじめなければならない。たいていの場合、不満も苦しみも悩みも失敗も、すべて親の管理下において認知されていく。それがそれだと理解する時、そこには家族がある。罪も、未熟も、諦めも、克服も。
すべてをすべてのままに認知できないわたしたちは、名前を得てノイズを排除し、抽象化を繰り返す。不満も苦しみも悩みも失敗も罪も未熟も諦めも克服も、なんでも最初は鮮烈で、もっとも強く残るそれらをわたしたちは子供の状態で引き受ける。ところがそれを抱えたままではどうも苦しい。そこで——。
——と、これはこれで、やはり目的地がとおい……。哲学。どうしよう……。

……いや、Netflixで夢中で見ていたドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』のこととか、近所の脚に紐が絡まったハトのこととか、水木しげるの描くビンタのこととか(ビビビビビビン)、書きたいことは山ほどあって、だからひとつひとつはささっと片付けてしまいたいのである。
でもまあ、そうした考えは完全に間違いだということだろう。
ただ、もっと言えば公共料金を払うべきだし、そのために金を稼ぐべきだが、それらをひとつひとつやっていかないと「家族」についての続きを考えられないのだとしたら、それはやはりどこかおかしい。……おかしいのか? おかしいだろ! え? おかしくないのか。待てよ、そもそも誰が考えちゃいけないと言った? 並行してやっていくんだよ。みんなそうしてる。みんなそうしてるんだよ、わかる? わからない! そんなの嘘だね。嘘つきどもめ! どうやったらそんなことができるんだ。不可能だね。騙されないぞ。去れ! いい歳して何言ってるんだ、同年のファラーはやってるよ。冒頭で言ってた陸上競技のスーパースター、モハメド・ファラーはやってるよ、たぶん。わからないだろ、そんなの……、ファラーはすごいひとだけど、いまは関係ないだろ。関係あるよ、ファラーの話から始まったんじゃなかったか? そうだけど……。過酷、残酷な運命の中、彼は走って走って、そしてたどり着いた、そう思わないのか?
……そうかもしれないが、いまはおれの話だ。日記なんだよ、これは。もっと考えなくちゃいけないことはたくさんあるのに、邪魔ばかりして……。誰だ。放っておいてくれ。みんな他人じゃないか。他人他人。家族だって他人だ。誰もおれのことなんてわかりようがないんだから、余計なことは言わないで放っておいてくれって言ってるんだ!
子供じゃないんだから、バカなことばかり言ってるんじゃないよ、ちゃんとしなさいよ。
ちゃんとは無理! ちゃんとは無理! ちゃんとは無理ですわ!
あーあーあー、もう……。これは、ダメだ……。こうなっちゃったらもうダメだ……。
ちゃんとは無理! ちゃんとは無理! ちゃんとは無理! ちゃんとは無理! さっきから小蝿が……。小蝿……。そろそろ洗濯物を取り込まないと。日没がはやくなってきた。

今朝は少し涼しかった。ずっと頭が痛い。