2020年11月15日(日)

12日(木)、13日(金)と夕暮れに起床。だらしなく過ごす。

14日(土)、正午過ぎ起床。サイクリング。
9月の末に自転車を買った。自転車屋で働いていた時期も含めて、この17、18年間は自転車に乗っておらず、数年前までは専らバイクで移動していたのだったが、それが盗難に遭ってからの移動はすべて徒歩と電車——東京の地下鉄は気が滅入るので極力控えていると、徒歩で移動できる範囲は僅かなうえにこのコロナ禍、共に過ごしてくれる猫もいないというのに家にばかりいた。
それで一念発起し自転車を買ったのだったが、その運転が思いがけず愉しくこのところはよく出掛けている。

macOSを「Big Sur」にアップデート。良いのか悪いのかよくわからないが良い気がしないでもない。

15日(日)、Amazon Prime Videoで岡本喜八『ダイナマイトどんどん』を観る。過去の日記を調べたところ2006年の1月に観ていて、記憶の中では田中邦衛演じる芦刈の作蔵との対戦が白眉でその後はまったく憶えていなかったのだが、それ以降のほうが長かった。
当時もおかしな映画だなと感じていたようだったが、あらためて観るとなぜ143分もあるのかがわからない。時間とともに退屈さが増し、すべてが空騒ぎに見えはじめ、最後には虚無感が訪れる。1978年の映画である。

2020年11月11日(水)

午前9時過ぎ起床。快晴。風がやや強かった。夕暮れ、洗濯物を取り込む。

ところで、また日記を書き始めたのは好き勝手なことを書きたかったからだ。SNSでももちろん、ある程度、好き勝手は書けるだろう。ただ、多くの他人の好き勝手が時系列に並べられているTwitterなどにはもううんざりもしていて、できればTwitterを開く、という行為以外の能動性でもって他者の好き勝手に触れたく、とりあえず自分がそれを実践——というか再開しようと考えたのだった。
といっても、いまだにブログなんて書いている友人知人はいないから、より閉じただけなのかもしれない。リプライ、メンション——レスポンスも求めていない。日記を書いている。

それにしても、インターネットがこんなに人間の嫌な部分ばかりを目にするためのメディアになるとは思っていなかった。そっちにより需要があるということだろう。いわば「大きな自殺」だ。
個人的な、つまり本来の自殺も輪をかけて増えているらしい。今年は著名人の自殺が相次き、それらの報道の度に目にしたのは、「いのちの電話」はこちら、というような案内で、その電話口では一体なにが語られているのか。基本的に電話を使わないおれのような電話嫌いはどうすれば良いのか。二三年分の生活費を翌日に振り込んでくれるというなら電話するけど。

今日はやっぱりElliott Smithにもどってセルフタイトルを聴いていた。あとは町あかりの『それゆけ!電撃流行歌』。

2020年11月10日(火)

午前7時過ぎ起床。快晴。冬らしくなる。洗濯機を廻すが、二度寝、昼寝と相次ぎ干したのは午後3時。明日取り込もう。

夕暮れ、近所のアリオに。すっかりクリスマスの趣き。
夜、『姉ちゃんの恋人』第3話。

今日はカイリー・ミノーグの新譜『DISCO』を聴いていた。
毎年、テレビニュースで流行語大賞のノミネートの発表を見かけるが、今年は知っている言葉が例年よりも多く、結局、同じような体験を共有していないと流行語などあり得ないのだろう。多様性という言葉の背後にはなにがあるのか。いまはもう、シニフィエが多様性を持ち過ぎ、議論はおろか簡単な話も通じなくなってしまった。天気の話だけして余生を過ごすつもりなのか。ディスコはクラブとなり、クラブはどこかへ行った。簡単な話は通じず他者と踊りもせず、身体からなにが滲み出るというのか。

2020年11月9日(月)

午前8時前起床。二度寝し、午前10時過ぎに洗濯機を廻す。雲の多い空だったが、空気が感想していたので日暮れまでに乾く。

仕事。その後、バストリオに寄稿予定の原稿の直し。『Long, Long, Long, Revolution 1』という表題を付けたが、もちろん『White Album』(『The Beatles』)から採っている。
その原稿でも触れているが、最近は天使について考えていて、6月の下旬から『天使、インタプリタ』という小説を書き始めた。7月の中旬に約20枚で脱稿したものの、ずっとなにかが引っかかっていて、しばらくは短歌を書いて気を紛らわしていたのだったが、やはりどうも落ち着きが悪い。

以下はTwitterに記したことだが、

当然、書き始めれば書けるし、それで見えてくるものがあるに決まっているのだけれども、それとは無縁に書きたいわけで、そうなったのは世の中との関係が変わったからだが、天の邪鬼でいれば良いというような簡単なことではなく、問題は本質的だ。

どこか目的地に向かう筆致に納得がいかないのは、そんな生活はもうどこにも無いからだ。あるのはその瞬間の痕跡だけであり、だから何かに向かってなど進まない書き方を考え『天使、インタプリタ』を書き継いでいた。それなのに終わりらしい終わりを向かえようとしている終盤の呼気が気に食わず、壊そうと先月から修正と加筆を始める。いまは約30枚で、二度目の「もうこれで良いだろう」という気分なのだが、推敲する気がちっとも起こらず困っている。
さっさと終わらさなければ天使についての思考が進まないではないか。いや、さっさと終わらせようとしては天使についての思考は進まないのだ、という反論があり、しんどい。なぜこんなことをやり始めてしまったのか。

音楽はElliott Smithを、特に『Roman Candle』を聴いている。暗くて良い。明るい音楽なんて聴く気分じゃない。ぜんぜん愉快じゃない。