2022年7月11日(月)

レイ・ハラカミ『広い世界 と せまい世界』を聴いている。

できることならば、なるべく一息に近い刻に、距離はわずかでもかまわないから、並行した世界へ、移動したい、というような希望があって、今日読んだ尾崎翠『こおろぎ嬢』が、そうした理想に近いはじまりをしたので心打たれた。

昨日書いた日記でおれはなにが言いたかったのだろう、もしかするとずいぶん間違った考えだったのでは? と考えあぐね、昨日眠る前に何度か読み直したが答えは出ず、今日あらためたもののやはり判然としない。
そもそも「悪い」と書いてあるのだから「悪い」のだろうし、「悪い」という自覚のもと、それを記しているのだから、間違っているし、やはり「悪い」。
ただ、自ずから「悪い」と述べることは、社会に存在する意識からだし、そのうえでの断りなのだと思えば、健気なのかもしれない、と少しは思う。

2022年7月10日(日)

9日(土)のことから。
この日届いた池辺葵 『ブランチライン』4巻と、すでに買っていたが未読のままだった3巻を読むため1巻から読み直す。すばらしい。

ちらちらと目に入る昨日の凶行(安部元首相が銃撃され死亡した事件)の情報を見るに、犯人の動機は新興宗教(統一教会)が関係する怨恨のようである。実際のところはよくわからないままだが、政治的なものが直接の動機でないというのは、この国のいまを想うと腑に落ちるところがある。

10日(日)、本日。参議院議員選挙日。
くりかえし区の放送によって投票を促されるため、正午過ぎに投票に。
夜、尾崎翠『第七官界彷徨』を読む。とてもおもしろかった。

おれがまともに小説を読んだのは高専に通いだしてからのことだ。たぶん、15歳か16歳だっただろう。映画も、テレビで放映されるコマーシャルで細切れの、時間の都合でカットされた大作ばかりしか見ていなかった。音楽はいろいろなものをそれなりに愛好していたが、19歳、芸術分野における基礎的教養がほとんどないまま高専を中退し、芸大に進学した。
そこでの経験は強烈で、端的にいえば、こんなものまであるのか、こんなことまで表現しようとしているのか、という驚きにめまいがした。周囲より十年は遅れていると思った。それでも懸命にわかろうとしたが、理解がまったくなっていないという自覚は、それからずいぶん経ったいまもなお新鮮なままだ。

なぜこんな話をしたのかだが、尾崎翠『第七官界彷徨』の素晴らしさはいま読まなければあまりわからなかったと思ったのだ。『ブランチライン』もそうだし、ここしばらく数ページずつ読んでいる『ウィトゲンシュタインの愛人』もまた然り。
もちろん、いまがいろいろを理解できるレベルに達したのだと考えてはいない。ただ、それを愉しむ域にまで達する速度は実用に耐え得る程度になったと思うし、余計な摩擦も減っているはずだ……。

……なぜか、いまは振り返る季節なのだ。いろいろをやりなおしている。やりなおしをやりなおしている。
ただ、それは本来、この社会において、この年齢の一般的な大人がやって良いことではないようで、弊害は金銭的問題として山積している。解決する気のないその問題に耐久するための精神を構築するのはいまもなお慣れないし辛い作業だが、そのための構造そのものはたいへん強固だと自負しており、たいていの真っ当な意見ではびくともしない。
むしろ最近は、びくともしないことの罪とそれによる罰についての考察に余計な時間を取られてしまうことが問題で、それでも堂々と街を歩ける身体を準備し調整し続けることで、社会を見ようとまでしている。欲張りなことである。
簡単に怒るし、簡単に謝るし、簡単には崩れない。そして、悪い。
だから罰も相当にきついが、そのことの真偽もまた疑い続けなくてはならず、そうなれば、なによりも重要なのは体力である。
体がまったくダメになってしまっていたこの半年はほんとうにいけなかった。ほんとうにいけなかったが、首の皮一枚つながったということにしている。
そういうところもまた悪いのだが、それを説明する嘘のない言葉はあらかじめ準備されている。
それは社会にとってなんの価値も認められない言葉かもしれないが、そんなことはどうだった良いのだと言えてしまうのだから少しは呆れもする(ほんとうはまったく呆れてなどいない)。

で、そんなことより——

2022年7月8日(金)

今日も世界は殺伐としている。この頃、ひとびとはインターネットを使う時、決まって架空の敵を殴っている。そうしたひとびとがみな、そのことの愚かさや滑稽さを自覚しているのならば、それはたいした問題ではないだろう。
インターネットによって、いままで見えていなかったことが、見えてきただけだ、というのは、間違っている。見えてなどいない。見えてなどいないのに、今日も空を殴って殺伐としているのだ。

——と、今月4日にここまで書いて下書きのまま置いていた日記の続きを書き始める。

今日はどうにも寝付けず、正午頃にようやく眠る。起きると夜で、テレビを着けると安倍元首相が銃撃され死亡したとの報を繰り返していた。驚いてしばらく見ていると、銃撃に使われた手製の銃らしきものが映った。あんなものが当たるのだなあ、と思う。

2022年6月30日(木)

先週末、ようやっと体から泥のような倦怠感が抜けつつあると感じていたが、とつぜん梅雨が明け、ひどい暑さ、二三日そのことに参っていたが意外とすぐに体が慣れてきた。

あたらしい小説(『人間の集団(仮)』)の準備をしていて思い出したのは、今年の2月6日に観た「楳図かずお大美術展」における『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』のこと——絶不調のコンディションだが、これを観ずになんのために生存しているのか、『わたしは真悟』はすべての表現の中における最高傑作のひとつだと感じて生きてきたのだ——。
さて、一体「私」はなにを思い出したか。
『ZOKU-SHINGO』においては、(あの!)「333ノテッペンカラトビウツレ」という指示は、儀式は、反故にされるのだ! 約5ヶ月前、ふらふらとした足取りで訪れた六本木で、そのことに目眩と同時に完全な納得を得た「私」は呆然としたといいます……。
たしかに『わたしは真悟』からは40年もの時が経った。しかし、その空白の「長さ」ゆえの「333ノテッペンカラトビウツレ」の撤回ではない。あくまでも、40年前といまとの差異、それが理由だった……。
ああ、そうか……。ああ……、と打ちひしがれたものです。

そういうことは、いま、「私」のまわりの小さな世界でも起きているのです。起きていました。そして必要なのは、大きな追悼なのです。やはり、仕方ない——。仕方ない——。
少しずつ……、少しずつですが、やらなければならないことが、見えてきたような気がします……。

2022年6月25日(土)

少し体が動くようになってきたので、今週はゆっくりと小説の準備をしていた。社会的存在としてはもっと優先してやるべきことが山積しているのだけれども、そんなことを言い出すとなにもできないどころか息絶えてしまう。

冒頭、あらためて「小説の準備」などと述べたが、それはもう何年も続けていることで、止むに止まれぬ書き出しのきっかけが無かったせいでそれらはずっとノートに閉じ込められていた。そして、これまでと同様に、書き出されるものは順番待ちをすっとばした新参者の顔だ。
ただ、今回の作業は、「絶間町」という街を舞台にすでに書かれた三つの小説の再構成で、つまりいま「私」の目線は過去に向いている。ゆえにそこ(過去)に当然在る順番待ちの書付けたちの恨めしげな視線を躱すことはできず、それらの鋭さにそわそわしつつも、いつも通り(すべての)「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである。

さて、ふと、気の迷いとまでは言わないが、はずみで、コンピュータを新調するごとに過去の機械に置き去りにしてきた写真のデータをまとめることにした。
問題はおれの物持ちの良さで、12インチのPowerBook G4の中には2003年からの写真がすべて保存されたままであり、その次とその次の機械にもデータの欠損はまったくない。作業は時間こそ掛かれどとくに困難はなかった。これまでは枚数の多さに(その当時の機械の)処理が追いついていなかったため小分けにしていたデータを、いまの機械はいとも簡単に処理してくれた(今日は暑い日だったから、ファンがうんうんと唸ってはいたが)。
つまり問題とは、10代の終わりから約20年にわたる時の、いわゆる「思い出」に簡単にアクセスできるようになったことにある。
いまでいうコンデジの最盛期だった2000年代、現像代がかからないから無限に撮れるとばかりにはしゃいだ跡が刻々と——それが日常化し、撮る方も撮られる方も写真/カメラへの意識が薄れ、そこでの在り方は生々しい。
生々しい? 忘れていたのは、そこでどんなふうにカメラを手にしていたのか、自分自身の在り方だった。
ひたすらいまとの差異を感じさせるものが手近になった。

先月、このところほとんど使っていなかったTwitterに、使い始めて14年が経ったことを祝われていた。
とはいえ、Twitterが一般的になりはじめたのはおれが使い始めた時よりもずいぶん後のことで、画像や動画が添付されることが当たり前になったのはさらに後のことである。
つまり、はしゃいだ跡が刻々と刻まれている2000年代の思い出たちは、撮る方にも撮られる方にもオフラインのものと認知されていた。
いま考えると少し気味が悪いのではないだろうか。どんなSNSにもアップされない写真がただただ撮られている。毎日何十枚も。理由は知っているのだが、それでも、なぜ? と少し思ってしまう。それがいまの「私」の感覚だ。
まとめられた写真は約5万枚あった。記録/思い出が、まだ続いていることを体感する時間のそれらだったら、さして気にはならない存在だ。しかし、泳ぐことが大好きなのにもう何年も泳いでいない「私」は、毎年夏が来るたびに海や湖で大はしゃぎしている過去の写真に目眩を感じ、もっとも多く被写体となった飼い猫がいないいまをその連続とは捉えられない。
この感覚が、「いま「私」の目線は過去に向いている」、そして「「考えてしまったものたち」の成仏がいちばんの願いである」という二つの事項を繋ぎ、「止むに止まれぬ書き出しのきっかけ」を作ろうとしているのだろう。

思えば、すべてが連綿と続くこと、それから、死んだらただ消え去るだけ、という想いが、いろいろなことへの大きな動機になっていたのだと思う。
エアポケットにあるいま、「私」はそのことと距離を取らざるを得なくなった。考え出してしまった。果たしてそうなのか、と。
疑っているわけではない。たぶん、見方の変化を自覚しなくてはならない、という戒めに近い気もする。あるいは、在ったことを忘れてしまえばその限りでは無い——、と。

わかった気になっていたこと、他愛もないと思っていたことに、あらためて膨大な時間を割くことは少し残念でもあるが、とはいえ止むに止まれぬ気持ちはいつまでも続くわけではない。「死んだらただ消え去るだけ」なのだから、成仏を願うことは、生きているものだけが、その気持ちのもとで実現できることである。
未だ、すべてが連綿と続くこと、そして、死んだらただ消え去るだけだということを信じ続けようとしているのならば、仕方ない——。
仕方ない——。たぶん——仕方ない——、そういうことなのだと思う。