2022年6月15日(水)

Bandcampで買ったLevon Vincent『SILENT CITIES』を聴いている。夜の音楽だ。2008年の名盤、Metronomy『Nights Out』の夜更けが78分間続くような粒状の光の連続。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せている。郊外の夜だけが、三十年先の光を見せていた。

なんとなく、三十年——、特に空白のその時に興味があるようで、拙作『イサナの歌』にもそれは登場する。
なにか謂れがあるとは思っていなかったが、筒井康隆『附・ウクライナ幻想』の再読から連なり読み直した『イリヤ・ムウロメツ』(著・筒井康隆/絵・手塚治虫)の主人公イリヤは、生まれてからすぐに三十年の空白を生きることになる。イリヤの手足が三十年ものあいだ萎えていたのにはどんな意味があるのだろうか。ブィリーナの特質から考えて、節回しに由来するのか、あるいは宗教的意味があるのか、寡聞にして知らない。

いつか古い時は、郊外の夜を歩けば揺れるエレクトリック・ピアノの白い光線にいまと三十年先を見せられていたようだった。その白色は、夢や希望を語るのではなく絶望でもなく、ただただ圧倒的未知を感じさせた。

そういえば、と書架から小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』を手に取り頁を繰る。1950年代のアメリカがいかに「自動車中心」の風景を描いていたか——デイビッド・ハルバースタム『幻想の超大国』からそのことを述べた箇所を引き、小田光雄はこう続けた。

日本の一九八〇年代以後の郊外の消費社会の風景になんと酷似していることだろうか! それに産業構造においても、アメリカの五〇年代と日本の八〇年代はまったく重なりあっている。そしてこのハルバースタムの文章は、「アメリカ」と「日本」を、「五〇年代」と「八〇年代」に置き換えれば、そのまま日本の風景を描いているといっても過言ではない。

小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』、青弓社、1997年、122ページ

1983年生まれの「私」が10代だった頃、生まれ育った郊外の街からはたしかに未来を幻視できていたように思う。ところが、いまは同じ場所から30年遡った風景が見える。しかもそれは幻視ではなく、想像力の脆弱が生み出した景色だろう。そこにあり得る「距離」は過ぎ去った時間だけであり、固定された古い光でしかない。そんな「距離」に、光に、なにかあたらしいものを想うことは……、いや、それこそを感じ取るべきなのか? そんなはずは——と、取り返しのつかない行為に思えて恐ろしい。体が硬直する。生理的抵抗が生まれる。……そういえば、立ち止まり、あるいは振り返ることの価値をこの国では教えてもらえなかった。たとえ待ち受けるのが奈落であっても、まだ先のことであるというだけでわれわれはそちらを選ぶに決まっていた。

立ち止まる。もう長い時間が経ったように思うが、まだそれを続けている「私」を見ている。
見たい姿ではないが、おそらくはそれが必要かつ過酷な休息ゆえの不恰好なのだと、いまは判断しよう(判断? ほんとうに?)……。

2022年6月11日(土)

引き続き「見る/見られる」の問題を考えているが、ここであらためてヴィム・ヴェンダースの言葉を引く。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

Wim Wenders

ところで、この頃はもっぱら三村京子さんの新譜『河を渡る』を聴いている。

昨年10月5日付の日記でふれているが、『イサナの歌』という表題で小説を書いていたおり、三村さんの『いまのブルース』という作品のレコ発ライブを神保町で観たのだった。そこで「歌をうたう」という行為について考えはじめ、それが『イサナの歌』を完成に導いてくれた。『いまのブルース』という作品がそのことに寄与してくれたのは紛うことのないことだが、直接のきっかけとなったのはライブを観たことだったように思う。
というのも、「歌をうたう」という行為を強く意識したのは、やはりうたうひとがそこにいたからだろう。「見られる」ことを強く引き受けながら、そこで自分が過去に見たものをうたっているいまの姿があった。

そんなことがあり、昨年『イサナの歌』を三村さんに読んでいただくことに相成り、その縁で『河を渡る』をご恵投いただいたのが今月のはじめのことである。「私」は「見る/見られる」のことを考えてばかりでSNSなどもほとんど見ておらず、新譜を作られたことをご本人から伺えたのは僥倖だった。

『河を渡る』という傑作が、これまでの三村京子さんの作品と最も異なるのは、作詞、作曲、編曲、演奏、録音、ミックスと、すべてにわたり自身が手がけたということだろう。一聴してかなりの多重録音が行われていることがわかるが、おれは音楽のことには疎いから、しかしこれはどうライブでやるのだろう、と素朴な疑問を持つ。
三村さんに『河を渡る』の感想をメールした際には、その疑問はなんとなく伏せておいた。すると、頂いたお返事にこうあった。
「祈り」のつもりで作ったものでもあります。

さて、「祈り」とはなにか。2011年の震災以降、よく考えていたことだった。

話は散らかっていくが、昨年、山田せつ子&倉田翠ダンス公演『シロヤギ ト クロヤギ』において宣伝美術を担当した。その再演として、来月『シロヤギ ト クロヤギ ト』が東京で催されることになり、引き続き宣伝美術を担当することになったため、倉田翠さんの公演『今ここから、あなたのことが見える/見えない』を観劇の後、山田せつ子さんとお話ししていた時のことだ。せつ子さんが、バストリオの公演『一匹のモンタージュ』を観に行こうか悩んでいると仰った。おれは見にいく予定になかったが勧めたところ足を運ばれたようで、後日、バストリオが10周年に際して作成した「アーカイブ本」におれが寄稿した文章を読んだとご連絡いただいた。
その拙文とは、バストリオの『Rock and Roll』という作品についてのもので、ビートルズの『ホワイトアルバム』——とくに『Revolution 1』について考えながら書いたものである。せつ子さんからのご連絡を受け読み返してみると、そこにはいくつか発見があった——

——ただ、いまは「祈り」についての話が散らかっているところである。「祈り」とはなにか。

『ホワイトアルバム』といえば、ビートルズがライブをやめ、インドに行ったあとスタジオに篭って作った2枚組のレコードだ。どういう理由でそうなったのかは知らないが、目の前にいる観客たちに聴かせることがいやになった人間たちが、なぜそんな曲数の多いアルバムを作ったのか——、いろいろと理由はあるのだろうけれども、それはともかく「祈り」という行為は、対象が目の前にある時、見える時、あまり行われない。もっとよくわからない距離が「祈り」には必要な気がする。また、「祈り」は個人的な行為にも思う。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。

とヴェンダースは言ったらしいが、「祈り」はそれとは反対の行為にも思え、かといって「考える」ことを放棄しているわけではない。それがどうしようもなくよくわからない距離であることを認識したうえでの行為であり、それでもなお近づこうとしているような、そんな感触——。

『河を渡る』にはカバー曲が2曲収録されている。『aloha oe』と『夜明け前』。どちらも南国の、踊りのための、そして「あなた」への曲である。ともに、近くはない、おそらくは遠いのだろう、どちらにしろ目で見ることはできない「あなた」への「祈り」のような歌である。

「見る/見られる」は、どこかで「祈り」へと接続されるらしい。理由はなんとなくしかわからないが、おそらくは知性の賜物ではないだろうか。そして「祈り」は自分をも照らす。このあたりはどうも難しい話のように思う。ただの勘だが、意外にも数学がこの問題を明確にするのに向いているのではないか——、話があまりにも散らかってしまい、もはや何を述べても問題がないような雰囲気を感じている。距離が喪失しかかっているのだろう。
「祈り」とは、それがどうしようもなくよくわからない距離であると理解していてもなお、その合間にある緊張関係を手放しては成立しない行為なのではないか。
直近の問題として、「私」はそのことを思い出さなければならない。頭でわかっていても意味はなく、取り戻さなければならない感覚だ。
いまはなんだか、宇宙船との紐が切れてしまった宇宙飛行士のような気持ちなのだ。
ああ、宇宙船がとおざかっていくなあ、と諦念じみた気持ちで眺めていても、あ! ほんとうにまずい、と心が動く距離が、あるところで訪れるのではないだろうか。
境界を越えたそこは、「見る/見られる/考える」ことがままならない領域なのだろう——、フィクションなどでも描かれることの多いシーンだが、深層心理に訴えかける恐怖がある。
「祈り」を行う時、それはその境界を越えた後にはない。どうかその境界を越えませんようにと、祈るのだ。
だからやっぱり、まだ「見る/見られる」の問題は続くはずだ。

そして、そうであってくれと祈る「私」を見る。


2022年6月8日(水)

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。
それよりも、零距離にある身体の不調で意識は満たされる。見て、考えて、それはその場でくるくると回転しているようなものだ。じつのところ見ても考えてもいない。問題と同化してしまっているのだろうか。

いまはいないが、長いあいだ猫を飼っていた。彼らのことはいつまでも見ていられた。見られてもいた。長い時間、見つめたり観察したり、ただ見たりした。
ところで、動物園で動物を見ていて、檻の向こうから見られると少し気まずい。

見る/見られる、とはなんだろう。

とつぜんだが、ここでVTuberの壱百満天原サロメの発言を引く。

わたくしがどうして配信を始めたかといったら、みなさまに笑顔になって欲しいから。
ですからわたくしね、配信というかみなさまに伝えるうえでわたくしは、わたくしというコンテンツとして、こう、ネガティブなことはあまり言いたくないと、いつも笑顔で、こう、笑顔でというか、どんな話をしましてもみなさまに笑っていただけますようにと思っているんですけれども——、まあ、ものには限界というものがございましてよ!
どうかみなさま! こんなわたくしを見て、笑って!

【おバイオ7】BIOHAZARD 7 ✦ をプレイいたしますわ! ✦6【ですわ】※おグロ版

この感動的な発言は、実況していたゲーム『BIOHAZARD 7 resident evil』のあまりの怖さに憔悴していた壱百満天原サロメの、強固な「見られる」への意識によって生まれたものだと思う。

異常なほど大量の「見られる」を前に、「見られている自分を見る」を繰り返すことは生身の肉体に耐えられるものではないのかもしれない。ゆえに極限の「見られる」を実現しようとしているその存在はヴァーチャルである。
それにしても、一体「そこから」はなにが見えているのだろうか。
具体的には、——YouTubeのチャット欄にあらわれる、その膨大な視聴者数からあまりにも刹那的な、声の文字化とでもいうべきもののマトリックスの連続——その極一部である。

そこに生じるあまりにも幽しい「距離」が偽物であることを、配信者はおそらく理解している。だからかれらは、「見る/見られる」の関係を持つ架空の誰かを作り出すほかないのではないだろうか。そしてそれはきっと、かれら自身にほかならない。

多くの人が、気づかぬうちにその場でくるくると回転している。他者を見ることがあまりにも困難となってしまったのだ。
きっと「私」の絶望はそこにある。

泥舟が沈み、惰性で川中に浮かんでいる。空を見ているが、空について考えることはとくにない。それはひとつながりでなく、遍在するばらばらの空。
それらを貫通するものがあるとすれば、おそらく空気の振動だけだろう。
声であり、歌である。

2022年6月7日(火)

さて、何から語るべきだろうか。
日記が空白となっていた半年、体調が優れず、とにかくなにもやる気の起こらない日々にいた。起床しては、早く眠気が訪れるのを待つだけの有様だった。

なにひとつうまく考えられない——こんな日々はかつてなく、そんな困窮に陥る理由は複合的でしかあり得ず、ただ手がかりをあてもなく待っていた。しかし届くのは家賃や公共料金の催促のみで、申し訳ないことだが友人からの連絡にすらもすぐには応えられない状態だったためすべて無音にしていた。

ある日、ずいぶん昔に貸していたらしい安部公房『箱男』が友人から返却された。文庫本のそれを何気なく読み始め、さほど長いものではないからそのまま読了し、もっと面白いものだったと記憶していたが……、と思いながら書架に戻した。

また別のある日、太田省吾『なにもかもなくしてみる』を再読したくなり、古書店に注文。拾い読みしていると、ヴィム・ヴェンダースの言葉が引かれていた。孫引きする。

考えは世界から遠ざかることによって間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

Wim Wenders

『歴史の誘惑』という表題のエッセイの冒頭で太田省吾はこの言葉を引用している。それに続けて、

<見る/考える>といった、あまりに単純化されたことばづかいだが、私は、こんないい方でしか語れないところが表現行為にはあるように感じながらこのことばを、まず<そのとおり>と思って読んだ。

太田省吾『なにもかもなくしてみる』、五柳書院、2005年、143ページ

と文章ははじまる。

ところで、「私」はいま、<見る/見られる>の問題について考えている。「私」に「考える」という行為を見失わせてしまった原因がそこにあるように思えたからだ。
ヴェンダースに倣い「見る=事象に飛び込む」「考える=事象と距離を取る」としたい場合、「見ているもの=見られるもの=自分」の位置を認識しなくてはいけない。ところが——見ている以上、同時に見られるものとなることは当然のことだ——、そう前置きできない状況が「私」を取り囲み、それによって「考える」はとおざかってしまっていた。
「私」は世界を見ようとしている。家の中から、大抵は四角い画面を通して。その時、「見られている」感覚はない。
「見られていない」から可能であるに過ぎない、その程度の「見る」。言い換えればそれは「覗き見」であり、「箱の中」だ。

先ほど、『箱男』について「もっと面白いものだったと記憶していた」と述べたが、いつのまにか「箱の中」に誘われていることにすら気づかず窃視の日々を過ごしていた「私」は、「見る」ことはできても「見られない」ゆえに(そして無意識にそれを望んでいたがために)「見る=事象に飛び込む」を果たせておらず、結果、ただどこでもない場所=箱の中から、『箱男』をなんでもないこととして醒めた目で眺めたのだろう。

見られていないと距離は狂う。「覗き見」は自分が対象から不可視でなければ成立しない。「私」は、この世界を「見る」ことに疲弊していたのは確かだが、それ以上にこの世界から「見られる」ことを拒んでいたのかもしれない……。

——と、ここまでのことをノートを取り考えていたのは5月の末日のことである。
何度か日記として書いてみたものの、読み返せばほとほとくだらなく感じられその都度捨てていた。
とはいえ、とにかくなにもやる気の起こらない日々にあっては、そんな落胆の繰り返しですら稀有である。
川中で小舟に揺られ、「どちらか」の岸辺に着けばただそこに降り立とう。それまでは寝転び空を見るだけだ。
そんな刻が半年続き、「どちらか」の岸辺にもたどり着かないまま、小舟は浸水しはじめた。
そうなれば空を眺める余裕はない。
流石にこれは、ちょっと違うよな(わかってたけど……)——ということで、また日記を書き始めることにした。